協会の活動状況・会員からの寄稿
NPO日本ウズベキスタン協会創立10周年記念
中央アジア周遊8日間ツアー記録
2008年9月17〜24日
キルギスタン/カザフスタン/ウズべキスタン3ヵ国

*時刻は現地時間
【目次】
9月17日(水)……1ページ
9月18日(木)……2ページ
9月19日(金)……3ページ
9月20日(土)……4ページ
9月21日(日)……5ページ
9月22日(日)……6ページ
9月23日(月)……7ページ
9月24日(火)……8ページ

■9月22日(月)晴 10℃ 42% アルマトイ→タシケント(ウズベキスタン)
08:00  朝食、生野菜、ゆで卵と目玉焼き、ポテト3種、ハム・ソーセージ、夕食の残り煮物、牛乳、シリアル、パン各種、コーヒー、紅茶。
 フロントでキルギスソムを両替したら8ソム=40テンゲ、売店でラクダの縫いぐるみとフェルトのミニユルタ各480テンゲだった。
09:00  徒歩出発、嶌会長は別行動で日本大使館連絡事務所へ。
09:15  パンフィーロフ戦士公園。まずロシア建築家ゼンホフ設計のロシア正教会へ。1887年、震度7の大地震で倒壊後、天山樅の木造に建て替えた。1911年の地震には耐えた。1920年代に革命のため無宗教になり、神父は殺害、イコンは盗難、30年代は博物館になった。ソ連崩壊後、ゼンホフが修復再建した。


 堂内に入れてもらうと、ミサの最中で内陣まで見通せた。正面イコンはキリスト像、左イコンはマリア像、右奥にはキリストを十字架からおろしているイコンが見えた。ミサには神父が6人、参加信者は老人ばかり14人、オルガン伴奏と聖歌シンガー、僧の1人が香炉を振り回して見物人にもその香煙でお祓いする。ミサは毎日9時から11時まで、日曜は7時〜9時が加わる。
 教会を出て「大統領歩道」へ。首都時代、大統領や外国首脳が来訪すると、ここに樅の木を記念植樹し、その前の歩道に名前を彫った銘盤を埋め込んだ。1997年のアカエフ・キルギス大統領が最後で、首都移転後の小泉首相の記念植樹はない。
 続いて「28勇士のモニュメント」。ナチスドイツ軍がモスクワを攻撃した際、パンフィーロフ将軍が率いる軍団はモスクワを死守した。カザフスタンから兵団に配属された兵士28人は全員戦死したので、勇士を追悼して1975年にこのモニュメントを建立した。ソ連の地図を象った大きなレリーフに兵士の闘志みなぎる表情を並べたもの。
 右の壁面には1917−1920、左には1941−1945と記され、第2次大戦でソ連軍に従軍したカザフ人120万の半数が帰還しなかったのを悼み、その戦場の土を入れたカプセルを納めた石壇に不滅の焔が揺れる。スピーカーから「カチューシャ」「ともしび」などロシア民謡が絶えず流される。


 1910年に建てられたロシア帝国軍将校集会所の前を通りいったんホテルに戻る。嶌会長も帰って来て所長との会見の模様や日本のニュースをもたらしてくれる。
10:25バスで出発、ゴーリキー公園で写真ストップ。
<ガイドの話>
1 ロシアの統治以来、市内の緑化が進んだ。この公園は100年前にでき、水泳プールや動物園がある。
2 アルマトイは地震危険地帯ということで、1997年12月にアスタナに首都が移り、ここは経済中心になった。人口150万が昼間は200万人になる。車が40万台に増え大気汚染と道路渋滞が社会問題化している。

11:00  工事中の共和国広場、独立記念碑、国会議事堂、大統領別邸がある。ユルタ(カザフ語ではキースュイ)を象った建物は歴史博物館(国立中央博物館)、下車して見学する。
<ガイドの話>(展示を見ながら学芸員が説明)
1 キースュイは中央にちゃぶ台を置き、入り口から左側が男、右が女で客座は一番奥とされる。炊事は夏は外、冬は中のペチカで行われた。
2 カザフでは末子相続制がとられてきた。
3 キースュイの屋根を縛るフェルトの帯は、祖母から母へ、母から娘へ、その織り方が伝えられてきた。既婚女性はスカーフを被る。
4 花嫁を迎えると、カーテンの奥にすわらせ、近所の人が見に来ると金を取って顔を見せる。
5 馬乳酒は夏の飲み物で、牛や駱駝の革袋に入れる。
6 カザフのシャーマン教は豆で占う。羊の頭、狼の頭がい骨、鷲の爪はお守りになる。
7 昔、メッカ巡礼にはロシアのパスポートが発給された。
8 2弦の民族楽器はドンブラという。
9 衣服の帯の幅の広さはその人の地位を示す。

12:30  バスに戻り出発。トラムバイという路面電車が走る。
12:40  レストラン・ラスタルハン(食卓)で昼食。サラダ(胡瓜、トマト、オリーブ、チーズ、パスタ)、白パン2種、黒パン、小丸揚げパン、スープはボルシチ、中央アジア風肉饅(野菜入り)、クレープ、ケーキ、チャイ。旅行社提供ドリンクはビール、馬乳酒(酸っぱい牛乳)、ワイン(渋く酸っぱい)。
14:10  出発、大使館連絡事務所推奨の丘へ。
14:30  コトトベ展望台。ロープウェーで標高差100m、海抜1,627mの丘に登る。展望台には有料望遠鏡(1秒1テンゲ)がある。売店スナックはマック700テンゲ、ホットドッグ550テンゲ、フライポテト450テンゲ、7up400テンゲと高い共和国宮殿(元レーニン宮殿)がありコンサートホールになっている。みやげ物屋で民族衣装5,000テンゲ、民族帽1,500テンゲ。
16:25  空港へ出発。車内で地元旅行社キルギス・コンセプトのアンケート回収。
<ガイドの話>
1 若者の服装はロシアや欧米のファッションを追っている。
2 車検は年1回あるが、形式的。バスなど営業車は年2回。
3 運転免許証は16歳以上、ただしバイクは14歳から。

 (ビシケクから面倒を見てくれたガイドのジャニー君に感謝の拍手を送る)
<ガイドのあいさつ>
 ここでお別れするのは後ろ髪を引かれる思いです。不行き届きや至らぬところがあったが、キルギスにおいで下さってスタッフ一同感謝しています。また行きたいな、と思ってくださる旅だったら私もうれしいです。私はカザフスタン以外の外国に行ったことのない井の中の蛙ですが、目の玉の黒いうちに日本へ行けたら幸せです。ご無事にご帰国になられるよう心から願っております。
<嶌会長の謝辞>
 彼の日本語の語彙の豊かさに驚き、愛国心に心を打たれた。あらためて協会からもお礼を申し上げる(彼には生まれてくるお子さんの分も含めて協会から心付けを出しておいた)。

17:10 アルマトイ空港着、第1次セキュリティチェック→パスポートコントロール→第2次セキュリティチェック。
18:00待合室。カザフウォッカ箱入り13ユーロ。
18:45 搭乗開始、ウズベキスタン航空HY752便、中距離専用機ソビエト製ツポレフTU154b。3×3の155席、エンジンは胴体の尾部。ポンコツ寸前の座席だ。
19:35 離陸。ウズベキスタン入国カード記入、特に税関には持ち込み外貨と携行荷物の個数を申告する。
20:00 スナック、パン、クリームチーズ、丸トマト、ソーセージ1本、ジュース、ケーキ。
19:45
カザフ時間20:45
タシケント着、15℃。
20:00 バスに分乗してターミナルビルへ。パスポートコントロールに時間かかる。気がかりの税関はほとんどフリーパスで能率もよい。
21:25 出迎えバスで市内へ。ガイドはロシア系美人リーナさん(タシケント国立大学東洋学部卒)、運転手シュクラカ氏、アシスタントアラジン君。
<ガイドの話>
1 普通は2時間半かかるのに、こんなに早く出てこられるとは幸運。
2 空港入り口の橋が工事中で遠回りしなくてはならない。
3 タシケントは緑の町、木がないと夏は過ごせない。夏暑く冬寒い大陸性気候で、7月に60℃になったことがある。6〜8月平均は40℃、天気はよく変わる。明日は朝13℃、日中30℃という予報だ。
4 通貨は1ドル=1,300スム(1スム=12円)、トイレは有料で200〜300スム。水道水の水質は悪くないが、パイプが良くないので飲まないほうがよい、ミネラル水は500スム。

21:40  レストラン・マックスドライヴで夕食、ミラーボールのついたディスコ風。両替は32,000スム=20ドルを現地旅行社が準備してくれた。
 サラダはビートとポテト、チキンヌードルスープ、肉巻き野菜、ライス添え、西瓜とメロン、お茶。
23:30  終了、出発、外気は8℃と寒いくらい。
23:35  ホテル・マルカジ着、パスポートはフロント預かり。
 水回りは良好、排水栓は完備、しかしボイラーのパワー不足で熱湯が出てこない。洗面所のコップは1つしかない。トイレットペーパーの予備なし。室内にティーカップなし。全般にハードはまあまあだがソフトが遅れている。
 TVは全部で28チャンネル、11chにNHK、外国番組はCNN、BBC、ロシアトゥデー、ブルームバーグ、アルジャジーラ、ドバイほかアラビア語、イタリアRAI、ドイツDW、フランスTV5、中国CCTV、韓国アリラン。
(松永 太)
2009年1月10日(掲載)
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