協会の活動状況・会員からの寄稿
NPO日本ウズベキスタン協会創立10周年記念
中央アジア周遊8日間ツアー記録
2008年9月17〜24日
キルギスタン/カザフスタン/ウズべキスタン3ヵ国

*時刻は現地時間
【目次】
9月17日(水)……1ページ
9月18日(木)……2ページ
9月19日(金)……3ページ
9月20日(土)……4ページ
9月21日(日)……5ページ
9月22日(日)……6ページ
9月23日(月)……7ページ
9月24日(火)……8ページ

■9月20日(土)晴 10℃ 60% カラコル(キルギスタン)
07:00  早くから湖水の桟橋やビーチを散歩する人が多い。山々は雪をかぶっている。庭園をリスが走り、腹をすかした犬がコッテージを嗅ぎまわる。
08:30  朝食、パン各種、スープ、肉じゃが、ポテトコロッケ、目玉焼き、チーズ、ヨーグルト、牛乳、シリアル、紅茶・コーヒー、ただし生野菜は少ない。
 ポーターがいないので、スーツケースを添乗員とガイドがバスまで運ぶ。
09:30  記念撮影ののち、バス出発。
<ガイドの話>
1 遊牧民出身のキルギス人は家族同士朝のあいさつをする習慣がない。ソ連の習慣が持ち込まれてから外ではあいさつするようになったが、学校で先生があいさつしても子供は返さない。
2 この湖は西遊記に大雪池と記されている。
3 1946年4月、湖畔のタンガ村に日本兵160人以上がテント生活をしていた。ソ連高級将校のための療養施設を建てた。その建物は今も療養に使われている。溜池造りや道路工事にも従事した。空き缶を拾った住民の少女は食器代わりにした。帰還したのは125人だが、ここで亡くなった人たちの墓地は見つからない。

09:46  湖に流れ込む川を渡る。白樺が黄葉している。1時間後のトイレ休憩は青空の下。
10:55  湖水に流れ込む最大の川チュプを渡る。どの家にも煙突があり石炭を焚いている。
<ガイドの話>
1 チュプ町に魚卵工場があった。ここでウグイ、鯉、鱒(カフカス最大のセバン湖から)などをここで加工した。
2 1957年、ヴォルガ河のスズキ、アラル海の白鮭も持ち込まれた。

11:15  カラコル市内に入る。トタン屋根に南瓜が干してある。郊外は牧草地や原野ばかり。湖水は遠く離れる。間もなく、ブルジェワルスキー博物館。
<ガイドの話>
1 ニコライ・ミハイルヴィッチ・ブルジェワルスキーは1839年ロシアのスモレンスク生まれの将軍で探検家。地理が好きだったが、1861年軍事アカデミーに入り、卒業後ワルシャワ大学で地形学を修得した。ロシア帝国の南下政策のため中央アジアを探検して国に貢献した。
2 1868年、27歳でウスリー地方の4,093kmを日本海まで踏査し、「ウスリー地方紀行」を出版してロシア地理学協会から銀メダルを受けた。1870年12,000km、ゴビ砂漠からチベットに達した。1879年第3次探検でラサに着いたが、宗教の違いからダライラマの入境許可が得られずキャプタに引き返す。このときゴビ砂漠で野生馬を発見した。
3 1884年の第4次探検でいったん入ると出られないとされたタクラマカン砂漠を踏査して南部チベットに達した。1885年、天山山脈のビデル峠を越え、イシク・クル湖岸のカラコルに着く。ビシケクで補給してから、チュイ川まで来てキジ狩をしたところ、喉の渇きに耐えられず禁断の生水を飲んで腸チフスに罹ってしまった。ミスはそれだけにとどまらず、カラコルに戻ってからも医者に診せず、高熱で死んだ。探検の傍ら地政学研究も続けキルギス征服の秘密レポートを軍に提出した。遺言によりイシク・クル湖岸の丘に埋葬した。

 墓地は当時、湖畔にあったが、湖岸線が後退して間に市街地ができている。墓石は名前と1839−1888と書かれただけの質素なもの。そのそばに彼の功績を称えて1994年に立派なモニュメントが建てられた。コンペでロシアの彫刻家シュレンベルグが設計、80km先のアクス渓谷の花崗岩で組み立てた。彼が学問に捧げた年数に因み、1個17トンの石21個を組み合わせ高さ8.2m、365トンの大モニュメントに築き上げた。中央アジアの地図の上に鷲がオリーブの葉をくわえて立ち、その下にサンクトペテルブルグが贈った金メダルのデザイン、彼の肖像をレリーフとしている。

12:07  トイレ休憩、コンクリート造りながら壁も扉もなく、穴が3つ横並びになっている。大の場合は隣が気になる。
12:30  中国風のイスラム寺院、ドンガン・モスク。
<ガイドの話>
1 1880年代、満洲で解放運動に敗れたドンガン人200人がカラコルに亡命して、ウシュクという集落に住んだ。回教徒の彼らは自分たちのモスクを建てることになった。
2 1904年に着工して1910年に完成した18m×20mの方形、38本の柱で反りのついた瓦屋根を支える。胡桃、楡、ポプラ、天山樅(もみ)の木造。
3 カラコルはシルクロードの中心都市で、ビシケクから400km東に位置する。人口6万人。1860年代にロシア帝国の要塞都市になる。ビシケクに次ぎ緑が豊かである。

12:50  ロシア正教会。内部撮影禁止。正面祭壇にイコンを飾り、会衆席との間は仕切られ聖職者しか中に入れない。門前で子供が物乞いをしている。
<ガイドの話>
1 1860年代の要塞の付属施設で木造だったが、1870年代に煉瓦造りにしたところ、大地震で崩壊した。木造が地震に強いということが判り、天山樅で釘を使わずに再建、1895年に完成した。
2 ソ連時代は郷土博物館、会議場、倉庫になり、神父は殺されイコンは盗まれた。独立の1991年に教会は復活した。今は人口の2割が信者。

13:20  イスラム系中華レストランで昼食。ノンアルコール。スーラタン風味ヌードル片中華スープ(じゃがいも、トマト、羊肉)、サラダは細いヌードル入り胡瓜とトマト、香菜添え、魚唐揚げ甘酢煮、肉野菜(玉ねぎ、にんにく、インゲン豆)、ニラと挽肉、にんにくの芽、ニラ餃子、鶏肉、ピーマン肉炒め、握り飯。
14:50  出発。目抜き通りは穴ぼこだらけでバスは徐行しながら穴を避けて通る。
14:55  カラコル・バザール視察、20分間。葡萄1kg30ソム、バナナ30ソム、人参5〜10ソム、玉ねぎ15ソム、ビート18ソム、ピーマン25ソム、卵55ソム、食パン1斤12〜13ソム、厚手のナン25ソム、歯ブラシ100ソム、洗濯石鹸15〜22ソム、Tシャツ500ソム、ブラウス520ソム。
15:15  出発、道に迷いつつ宿舎のアイシャ・ゲストハウスを探す。
15:45  小住宅街のやや大きい2階建て、名前負けするゲストハウスだ。3軒に分宿する。民宿なら客を泊める設備が整っているが、ここは家族の住んでいる部屋を開放するだけ。自分たちは隣家か親戚宅の広間に雑魚寝する。いうなればホームステイだ。
 われわれA班が割り当てられたアザンベイヴァ家には8人が、主人の部屋、居間、子供部屋などに分かれた。嶌会長は主人の居室だが、洋服ダンスは主人のスーツ満杯で使えない。全て無い無いづくし。子供部屋は幅の狭いベッドが3つ、机もイスもなく、足踏みミシンが唯一の台、洋服ダンスどころか衣類をかけるフックもない。電話もなければ、鏡もないし、コップも石鹸もない。部屋に鍵はかからない。
 1階はトイレとシャワー室が分かれているが、シスタンクが故障して水が溜まらないから便が流せない。シャワーは停電のため18時にならないとボイラーにスイッチが入れられず、それから2時間待たなければお湯が沸かない。
 2階には近代的なトイレ兼シャワー室がある。結局、このトイレ皆使うことになったが、シャワーを使っているとトイレは使えず、不便このうえなし。屑籠は玄関に小さい段ボールの空き箱が1つあるだけ。
 洗面器もバケツもなく、台所の琺瑯鍋に水道水を汲んだら最初は澄んだ水も牛乳色から薄茶色に変わり、ついに黒い錆びが出てきた。
17:15  ティータイム、食堂に集まる。テーブルとイスは整っている。テーブルクロスも悪くない。チャイと黒白パン、ビスケットにウエハース。娘さんにキルギス語のあいさつ言葉を教わり、日本語のあいさつを教えた。家族はみんなアットホームな態度、笑顔で接してくれる。
19:00  夕食、ビールとジュースは旅行社の差し入れ。メニューは3軒統一で、ボルシチスープ、ピーマン、玉ねぎとナスに胡麻入り野菜煮、ハンバーグに蕎麦の実、ライス、刻み人参添え、グレービーソース。ハンバーグは大ぶり2個だったが、みんな1個ずつにしてもらう。ティータームのパンも残ったままなので、せっかくのご馳走が口に合わないとみられないよう皿はきれいに片づけた。
 あとで聞くと、前に泊まったスウェーデン人やフランス、ドイツ人はみな健啖で、ティータイムでもお茶を10杯、パンや菓子はきれいに平らげたとか。日本人は少食だと知らせた。
 母親、嫁(娘のカラコル大学クラスメート)、娘(幼稚園の英語教師)の3人が顔をそろえ、娘と嫁が代わる代わる英語で通訳しながら母親が「カラコルには大きなホテルがないので、私どもが外国人団体に宿を提供している。泊まっていただいて感謝します」とあいさつした。
 食後、部屋に帰ったがテレビもなく、照明が暗くて本も読めず、煎餅布団で寝るしかない。夜中に停電したため手探りで暗闇のトイレに行った。ドライバーの2人はバスを盗まれないよう、車内に仮泊したという。
(松永 太)
2009年1月10日(掲載)
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