協会の活動状況・会員からの寄稿
NPO日本ウズベキスタン協会創立10周年記念
中央アジア周遊8日間ツアー記録
2008年9月17〜24日
キルギスタン/カザフスタン/ウズべキスタン3ヵ国

*時刻は現地時間
【目次】
9月17日(水)……1ページ
9月18日(木)……2ページ
9月19日(金)……3ページ
9月20日(土)……4ページ
9月21日(日)……5ページ
9月22日(日)……6ページ
9月23日(月)……7ページ
9月24日(火)……8ページ

■9月18日(木) 関西→タシケント乗継ぎビシケク(キルギスタン)
00:03
ウズベク時間
20:03
 関空離陸、タシケント(5,707km)へ。関空からイスラエル、トルコへ行く2ツアー団体が同乗した。
00:45  日本海から韓国通過、時速742km、高度10,300m、イヤホン配布。
00:55  ドリンクサービス、おつまみは塩ピーナツ、ビールは日本製、赤ワインは甘すぎるウズベク産、プラスチックながらちゃんとワイングラスに注ぐ。食事のメニューはビーフシチューとマッシュポテトまたは鰻丼、いずれも生サラダ、小エビフライとカニ、パンケーキ付き。鰻丼はご飯の炊き具合、焼き加減、タレとも鰻屋で出される状態で、これまでの各エアライン機内食で最高の味だった。
02:15  やっとぬるいお茶。
04:15  タシケント着、バスでターミナルビル。「出入国管理」「搭乗手続カウンター」と日本語表示があり、乗継手続場所は英語・日本語・ロシア語・ウズベク語(キリル文字)の4カ国語表示、中に入ると英語案内文字の上に手書きで「レストラン、搭乗関交台(?)、民族の記念品、待合室」と添え書きしてある。
05:10  乗継券を配り、2階待合室からパスポートコントロールに。窓口は女性係官1人だけ。次々にウズベク人が割込み、我々の通過に40分かかる。次いでセキュリティチェック、金属探知ゲートが敏感すぎてほとんど全員がボディーチェックを受ける。タシケントはユーラシア大陸のハブ空港で24時間営業、国際線55路線とウズベク国内線11路線が発着する。
06:00  バスで搭乗タラップへ。やっと明るくなり快晴の朝を迎えた。気温17℃。
06:05  ボーイング757ー200型機に搭乗、左右3席ずつの中型機。
06:23  日の出、ジュース・コーラ・水サービス。走り出したが、タクシ—ウェーも滑走路もヒビだらけ。アスファルトで埋めてあるが、ヒビの間から草が伸びている。
06:39  離陸、朝日を正面に飛びたち高度10,000mで北上。
07:00  朝食、パン、チーズ、胡瓜とトマトにハムソーセージ、ケーキ、ジュース。牧草地、緑の林、沼地が見える。
07:30  キルギスタンの首都ビシケクのマナス国際空港に着陸。空港全体に灰色のC130型輸送機ほかUS Air Forceと表示された大型軍用機が多数駐機している。米軍基地と共用なのだ。
07:50  パスポート・コントロール、表示はキルギス語、英語、ロシア語の順。
08:40  バスで出発、気温24℃、湿度34%。ガイドはソヴェートベク君(キルギス国立大学卒、日本センター修了_、運転手はムフタール、バディム両君。周辺はキャベツと畑、牧草地、乗馬の牧夫が通る。
<ガイドの話>
1 ビシケクは海抜700〜850mの高地にある。中央アジアのスイスを目指す。最高峰はヴィクトリアピーク7,340m、次はタジキスタン国境のレーニンピーク7,130m。これら天山山脈の雪解け水が都市を潤す。水道水はきれいだが、70年代のソビエト時代の鉄管が錆びていて、飲まないほうがよい。急流を利用して発電しているが、水量が少なくなると発電機が回らない。停電はしょっちゅう。
2 キルギスの人口は500万人、キルギス人65%、ウズベク人14%、ロシア人10%の構成。日本人は2006年1,600人、2007年2,500人。カザフスタンと同じ遊牧民が祖先で、ロシアのバイカル地方から南下してきた。乳児には蒙古斑がある。カラハニ朝時代にイスラム化した。
3 キルギスの国旗は太陽を表し、赤地はシャマニ教の空の色(議会決議は青色だったが、カザフスタンに先を越された)、中央のマークはユルタ(ロシア語で遊牧民の移動小屋、キルギス語でボズュイ=白い家)の天窓。
4 チップの習慣はない。
5 韓国俳優のペ・ヨンジュンがロケでイシク・クル湖に来た時、600人の日本のおばさんが追っかけてきた。

09:00  車内で両替、700ソム(1ソム=3円、以下同じ)ずつ入った封筒を20ドルと交換する。キルギスに関する諸データを日本語で印刷したウエルカムレターとミネラルボトルも配られる。人数把握のためA〜Eの5班に分けそれぞれリーダーが決まる。
10:07  1960年に建設されたホール、フィルハーモニアで下車。その前に中国と戦って国を救ったマナス王の銅像と左右にカニケイ妃、家臣バタキの像が並ぶ。続いて市役所、国立銀行、国立大学を通過する。
10:30  右に農業省、その左右両翼に綿紡績工場と羊毛紡績工場だった建物がある。その前が新国立博物館(レーニン博物館改称)。下車して周辺から見学を開始する。
 正面に自由のモニュメント、その左に国旗掲揚塔、石段に赤い絨毯が敷かれ、門の左右に衛兵が2人、朝9時から夕方5時まで警護している。衛兵は毎正時交代するので、衛兵交代時は観光客が集まる。
 さらに左側に進むと、フレンドシップのモニュメントがある。ソ連が1962年に建立したもので、15民族の友愛を讃える。
 その先がホワイトハウス、大統領官邸が高い鉄棒のフェンスに囲まれている。取り巻く側溝にはきれいな水が勢いよく流れている。
<ガイドの話>
1 2003年まで博物館の前庭にレーニン像があった。今は建物の背後に移されている。レーニン嫌いのバルト3国と違って、キルギスは帝政ロシアの圧政からレーニンに助けられたという思いが残っている。レーニンの名前は道路にも残っているし、各地の銅像も撤去されていない。
2 アカエフ前大統領は1991年から2005年までの長期政権で腐敗し、3万人のデモに恐れをなしてモスクワに逃亡した。今もモスクワ大学の化学教授を務めている。現大統領から任期5年で再選まで認められることになった。

11:15  博物館に入り、3階の紀元前100万年の考古学地図から見学する。突厥時代に戦死者の墓の上に乗せたバウバウ石、当時から北部は遊牧民、南部は定住農耕民だった。紀元前1世紀のブロンズ農機具、紀元前2世紀の銅腕輪、ワイン容器、馬具、4世紀の女性ミイラ、5世紀の武器等々。イスラム寺院のミナレット、監視塔、灯台を兼ねたタワー、地下水の土管もある。三蔵法師時代の仏教寺院からの発掘品、水や食料を冷やして保存するフンという大壺、馬乳酒醸造具、絨毯織りの状況を示す人形、民族楽器コムスも。
 2階にはまだレーニンのブロンズ像や絵巻が展示され、世界各国語で出版されたレーニンの図書があった。近くこれら展示物を他へ移し、考古学展示品を2階に拡張することになっている。
12:10  館外に出て、国会議事堂に向かって右手を高くかざすレーニン像を見る。国会は一院制で定数94人、5年ごとに選挙が行われ、80%が与党という。隣の旧秘密警察の建物は中央アジア・アメリカン大学になっており、年2,500ドルの授業料で講義は全て英語で行われる。
12:35  カピタン・ネモ(軍人の名前)というレストランで昼食。キルギス風サラダ、豆のスープ、中央アジア式ピラフ、白黒パン、チャイ(紅茶)。ビールは2ソム。
13:40  出発、ホテルへ。日差しが強いが木陰は凌ぎやすい。気温30℃、湿度40%。モスクワ通に左折すると、トロリーバスが走っている。
14:00  ホテル・ドストークに着く。ソビエト時代の高官専用で最高級ホテルとされ外観は堂々たるもの。しかし設備は老朽化していて特に水回りは故障だらけ。バスタブも洗面台も排水栓がない。洗面台は前傾していて水があふれる。石鹸は不快な香りだ。館内のサービス案内、便箋封筒、「ドントディスターブ」のカード、ルームサービスメニュー、館内電話番号案内何一つない。
 旧ソ連方式で各階エレベーターホールのそばにフロアレディー室があるが、役に立たない。室内にフルーツバスケット(バナナ、桃、リンゴ、オレンジ各2個、ブドウ1房)が置いてあるのが救いだ。これでは、独立後進出した欧米の5星ホテルに客を奪われるのも無理はない。
14:20  ホテル発、約20分でアラメイン・バザールを見る。かなり広く、野菜、肉、食料品から衣類、学用品、はては工具、中古モートルまで何でもある。フルーツ売場の目玉商品の葡萄は甘い香りが漂い、蜜蜂がいっぱいたかっている。1kg当たり40〜50ソム、リンゴ10〜15ソム、桃75ソム、野菜は1kg当たりジャガイモ0.15〜15ソム、トマト5〜10ソム、人参0.13〜2ソム、ナンやパンに使う小麦粉が何種類かあり、粉製品ではパスタが33〜35ソム、その他に草箒1本70〜80ソム、琺瑯シチュー鍋400〜580ソム、紅茶ヤカン140〜180ソム、靴は中国かトルコ製で50〜100ソム、しゃれた女性ブーツ550ソムなど。肉はブロック売りで、鳥が高く、羊、牛の順、豚は見当たらなかったが、ここのイスラム教徒はあれば豚肉でも食べるそうだ。
15:25  ホテルに戻ってから、キルギス国立大学の日本センター(人材開発センター)を訪問。センター職員は20人、うち日本人は8人。JICAスタッフも来ている。所長は愛知万博で中央アジアコリドールの責任者だった人。
<丸山英朗JICA所長あいさつ>
1 キルギスにはまだ日本企業は進出していない。在留邦人は約100人、JICA関係者が ほとんどだ。32名のボランティアが1村1品運動を推進しており、貧しい農民グループにドライフルーツ、ジャム、石鹸作りを指導してきた(シーバックホーンという黄色いジャム、バーベリーという紅色ジャム、手作り石鹸の見本等を提示)。
2 この秋、手造りの盆踊り大会を開いてにぎやかだった。日本人会婦人部がカレーライスをつくリ、コロッケ3個90円相当で売ったら200個が飛ぶように売れた。
3 人材育成だけでなく企業の成功例をつくりたい。相互理解コースにも力を入れている。
4 子供の日本語熱は高いが、日本語コースを卒業しても日本語を活かせる就職先がないのが悩みだ。

…「知られざる国キルギスタン」という1時間半にわたるビデオの一部を上映したのち…

<浜野道雄日本センター所長あいさつ>
1 キルギスタンは小さな国だが玉手箱にいっぱい詰まっている。
2 三蔵法師がキルギスを通ってインドへ行った道を1,228mのデン峠越えで4輪駆動で 走ったが、大変な悪路だった。
3 日本センターでは、日本語コースを4年制と週3回制で教えており、経済コースは3ヵ月基礎講座から簿記まで教えている。大学の授業はほとんどロシア語で行われており、ロシア語弁論大会がロシアで開かれるとたいていキルギス人が優勝する。
4 8月26日から3日間、生け花インターナショナル展が国立美術館で開催され、13人の日本人が出品した。日本センターに生け花サークルがある。

<嶌会長あいさつ>
1 日本ウズベキスタン協会は今年10年目を迎えた。その記念行事として、中央アジアの布地を使い文化服装大学でファッションショーを開催したら1万人が見に来てくれた。
2 会員500人、会費5,000円、年間300万円の予算で10日に1回何かイベントをやっている。トークの会には1ヵ月1回留学生が話しをする。シリア、イラン、パキスタン、インドの留学生も参加して80回も開かれた。女性が大使館で料理の会を開き、春にはお花見の会も続けられている。
3 2001年にナヴォイ劇場とカザフスタンでオペラ「夕鶴」の上演を国際交流基金と共催した。
4 今回の訪問は二手に分かれ、ウズベキスタンのシルクロードめぐりと、キルギス、カザフスタンの中央アジアコースで、最後にタシケントで合流し、ナヴォイ劇場で記念パーティーを開くことになっている。我々はウズベキスタンだけにこだわらず、中央アジア全体と友好を深めたい。

<会員からの質疑に対する丸山・浜野両氏の補足説明>
1 キルギスとキルギスタンの呼称は、独立後、英語国名をキルギス共和国としただけで、正式には「キルギス人の国=キルギスタン」が使われている。
2 米軍基地とロシア軍基地が国内に同居しており、米軍基地から大きな収入を得ているので、ロシアの圧力があっても協定を打ちきれない。キルギス人の考えるパートナー国としては80%の国民がロシアを支持する。ロシア語あるいはロシアとの関係なしではこの国の将来はない。イスラム圏と違って反米感情はない。中国と米国支持は4%ずつ、日本は数字に現れないくらい少ない。
3 観光と水の商品化が今後の生きる道とされる。中央アジアは水不足で苦しんでおり、キルギスは水をカザフとウズベクに供給して、カザフから電力と石油、ウズベクから天然ガスを受けている。キルギスでも田舎に行くと水道がなくて清潔な飲み水に苦労する。
4 電力はダムの渇水で計画停電を余儀なくされている。朝6時から正午まで、正午から午後6時まで、6時から夜中の12時までの3回に分けて実施されているが、臨時抜き打ち停電もある。水道料金は戸建てで月90円位だから使い放題、まったく制限がなく水管理はできていない。
5 キルギス人は明るく旧ソ連的なものがない。外国人はこの国に来るとホッとするという。今や中国語学習に日本語は押され気味だ。上海協力機構の影響が大きく、中国人はビシケクに増えた。中華料理店も多い。
6 日本語講師の大学での初任給は3,600円位でとても暮らせない。家庭教師でカバーしている。IT人材を育成して日本に派遣する計画がある。
7 銀行に信用がないので、タンス預金が一般的だ。銀行は資金不足で高い利子をとり、起業するにも金が借りられない。
8 (和太鼓の実演ビデオを上映し)日本センターで4年間和太鼓を習わせて、この7月に川崎の大会に出演させた。太鼓はかなり傷んできたので、どこかに中古の太鼓を寄付してくださる方があれば、運送料こちら持ちでお願いしたい。
9 キルギスの特産品は蜂蜜で高いものほど良い。

17:10  贈呈式、石井委員長が女性職員の明石さんに着物を、嶌会長が丸山所長に日本人形を贈った。日本センターから民族衣装のガウンと帽子を嶌会長にプレゼント。
17:30  中央デパート・ツムでショッピング。オースコムスという民族楽器(口中ハーモニカ)が1個200ソム。携帯電話に若者が群がっていたが、ノキアが1,650〜11,500ソムもするのをどうやって金を工面したのか、結構売れている。デジカメも同様だ。
18:50  正面に天山山脈を望むソビエト通を通って夕食に。コナック(お客さん)というレストランでトルコ料理。サラダは茸、オリーブ、赤ピーマン、チキンスープ、牛肉ケバブに刻み人参、バターライス、焼きトマトと玉ねぎ添え。焼きたてナン、チャイ。ビールは110ソム、赤ワインは107ソム。
20:30  バスでホテルに帰る。節電でエントランスホールも階段も廊下も暗い。希望者は近くのコンビニへ蜂蜜を買いに行く。その帰りに事件が起きた。三々五々ホテルへ帰る途中、巨大な男がスモウレスラーと称したばこの火を借りに近寄ってきた。何人かが無視したところ、遅れて歩いてきた会員に相撲を取る格好で抱きつき、ぐいぐい押して行く。暗がりに深い側溝があるので、奥さんがあわてて阻止し危機を脱したが、気がついたらポケットのデジカメが奪われていたという。側溝に突き落されたらケガをして懐中の金を奪われていたかもしれない。一流ホテルの目の前での事件である。
※ ビシケクのテレビ 全29チャンネル(うち4チャンネル放映なし)。
 ・4ch…ユーロスポーツ
 ・5と22ch…ショッピング
 ・9ch…ディスカバリー
 ・16ch…英仏洋画
 ・29ch…英語ニュース
(松永 太)
2009年1月10日(掲載)
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