協会の活動状況・会員からの寄稿
SYMPOSIUM_5

アメリカ・イスラム・中国  新政権の日本外交を語る
9・11から5年——激動の国際情勢を多角的に分析


5 新政権の外交——世界の中の日本

 さて五百籏頭さん、どうやら小泉政権時代とはいろいろ変わってきている感じがします。 日中・日韓首脳会談もやるし、それから世界全体のアメリカの立場ということを含めても、少し風景が変わってきています。 そして、今までの話の中では日中・日韓とアジア外交が中心でしたので、ここからは世界全体の中での日本の外交ということをお聞きしたいと思います。 安倍政権の今後の外交は、世界の中でどのような位置取りになると考えたらいいでしょうか?

五百籏頭 今までの話を伺いながら、ますますそうだと思ったのですが、小泉さんはアメリカとの関係はよくやった。 しかし、アジアとの関係はわりとぞんざいであった、というのが残された課題だったわけです。 そして戦後の日本の中でいささかできる首相というのは、実は皆さんアメリカとアジアの往復パンチ(連動)を上手にやってきた。
 たとえば、岸首相は訪米して日米安保改定を軌道に乗せたわけですが、その訪米の前には東南アジアを歴訪して、敗戦直後の日本でありながら賠償問題に前向きに対処して、再び“アジアのリーダー”として重視される存在だという形を示した。 訪米して、アイゼンハワー大統領との間に高いレベルでの信頼関係をつくってきたわけです。
 佐藤首相は、「沖縄返還」というのが彼の悲願であった。“沖縄返還がなければ戦後は終らない”というほどの使命感をもって対処していた。 そして、それを実現させるために 3 度訪米して、アメリカを責めた。 ところで、その際に大事だったのが実は、東南アジア歴訪だったんです。 たとえば、核武装した中国をアジアの周辺国はどう見ているか。ベトナム戦争が始まったけれど、そのベトナム戦争に対して周辺国はどのように動いているか。 そういうことを佐藤首相は、二次、三次と重ねたアジア外遊で見てくるわけです。 そして決定的だったのが、1967 年 11 月の彼の首相としての二度目の訪米首脳会談のときでした。
 大変面白かったのはジョンソン大統領です。 ジョンソン大統領は意外に日本的意思決定を採る方で、何でもつかさ(司)、つかさなんです。 いきなり首脳同士で物事を決めようとはしない。 その意味では、ニクソンとは対照的な方です。 一方、佐藤首相は沖縄返還を取り付けたい。 なんとか「 with in a few years」、2 〜 3 年以内に決定を見たい、というような言葉をアメリカから取り付けたいと思っていた。 ところが最初の首脳会談では、佐藤首相がそれを言おうとすると、ジョンソン大統領は「いやそれについてはラスク国務長官とマクナマラ国防長官とよく話し合ってくれ」と、門前払いを喰わせた。 そこで彼は、英語で「 with in a few years 」と書いて、そのメモをポケットに押し込んだ。 強いメッセージを出して負かしたわけです。
 すると、ラスク国務長官が「日本は還してくれ、還してくれ」と言うが、安全保障上の責任を取る用意はあるのかと聞いてきた。 そしてそのときの答えが、あの有名な「朝鮮半島はエッセンシャル( essential )で、台湾海峡はインポータント( important )で……」という佐藤首相のプレスクラブでのスピーチにつながるわけです。
 それを聞いて、マクナマラ国防長官は知的好奇心満々になる。 「アジアの周辺国をあなたはどう見ているのか?」と、機関銃のように佐藤首相に次々に質問する。 佐藤首相はたった今、東南アジアを見てきたばかりですから、自信に満ちて答えていく。 しかし佐藤首相にとってその会話は、非常に充実感があって手応えは感じるものの、彼にとっては時間もないので一刻も早く沖縄返還の話に持ち込みたい。 世界各論の話で終わってしまったら大変だと、彼は焦り始めた。 ところが、ひと渡り聞き終わったところでマクナマラ国防長官が突然、「 Ryukyu is bound to be returned 」(琉球は返還されるに違いない)と、パッと結論を言った。 つまり、日本がこれほどアジア諸国をつぶさに見て、ケアしている。 アジアの指導者としての責任感を持っている。 そのことをテストし終えたので、突然「琉球はお返ししましょう」という話に飛んだんです。
 最近、このときの公文書が公開されて、さらに明らかになったことがあります。 実はこのとき、佐藤首相訪米の前に大使館と国務省レベルでの文書のやり取りがあり、その中には「佐藤首相は最近、相次ぐ外遊によってアジアのリーダーとしての資格を明らかにした」と書いてあった。 したがって、彼からの要請は「最大限重視すべきだ」というようなメモが飛んでいたという。
 アジアを大事にしているということが、いかに同盟国アメリカにとっても大きいかということです。 とくにベトナム戦争で苦しんでいるとき、あるいは今のように台湾問題や北朝鮮問題などで楽でない状況のとき、そういうときアメリカは国分さんが言われたように「日本よ、何とかしてくれ」という期待を持つ。 それが、どんなに大事であるか。 ちなみに、中曽根首相はそれをもっと鮮やかにやっています。 時間がないので、その話はやめておきますが…。
 小泉さんは、日米関係は非常によくやったということはありますが、総合的にアジアとアメリカを往復して、総合外交戦略へ持って行かなかったという点が残念でした。 次の政権は、それを超えることが課題だと私は思っていました。 しかし、一方で「難しいかな?」とも思っていたのですが、新政権誕生からここまでの動きを見ると、さすがにそれを受け止めて、やり始めています。 アメリカとの間で了解事項をつくりながら、中国との間でも懸命にチャンネルをつくろうとしています。
 国分さんが言うように、胡錦濤にとっても“政権の生存がかかっている賭け”というのはありますが、日本外交にとっても、今までの身動きが取れない状況ではなく、日本がアジアの中で“中国とともに共同議長を務める”という立場を築くためには、やはりそこは超えなくてはいけない。 議会ではいろいろと厄介な質問もされるでしょうけれど、それに耐えに耐えて、今やろうとしている。 それは、私から見ると、何か信頼感を蘇らせるような思いです。


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2006年12月31日(掲載)
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