協会の活動状況・会員からの寄稿
SYMPOSIUM_2

アメリカ・イスラム・中国  新政権の日本外交を語る
9・11から5年——激動の国際情勢を多角的に分析


 西川さん、アメリカには当初「イラクを民主化して復興させて新しい民主国家をつくる」、さらに「それを中東全土に拡げ、テロを養うような国家は撲滅する」という大義が何となくありました。ところが、イラク攻撃の根拠となっていた「大量破壊兵器があった」とか「アルカイダを匿っていた」などという話が結局は嘘だったとバレてしまう。さらに、イラクにしてもアフガニスタンにしても、あるいはイランへの対応についても、あまり上手くいっていないですよね。
 結局、レバノンとヒズボラがあのように戦い始めたのを見ていても、どうもアメリカは、大義は掲げるけれど、現実問題その大義は段々と色あせてきたという、ヨーロッパから見ると大体そんな認識でしょうか?

西川 ヨーロッパとアメリカの対中東政策で何が違うのかというと、ヨーロッパは中東の植民地経営で散々苦労してきた。フランスにしても、イギリスにしても、中東を植民地化して経営することがいかに難しいか、それがよくわかっている。たとえば今のパレスチナ問題は、言ってみればイギリスの植民地政策のツケがまだ続いているということです。その意味では、ヨーロッパは中東の難しさを身に沁みて感じている。ところが、アメリカにはそうした歴史がないですから、ある種、楽観主義的に入ってしまうというケースがあります。そのため、イラク戦争のときによく言われたのは「なぜブレア首相は中東の難しさをもっとブッシュに説得しなかったのか」ということです。それぐらい、ヨーロッパのほうがはるかに中東のことは知っている。
 それからもうひとつは、「アメリカの力が落ちてきたかどうか?」ということですが、これにはいろいろな見方、切り方があると思います。たとえば、これを中東から見ると、アメリカがやってきたことが逆に「アメリカの力を削ぐ結果になっている」という感じがします。たとえば、アメリカが掲げた“テロとの戦い”、その戦いの最大の受益者は誰かといえば実はイランです。
 1982 〜 84 年のイラン・イラク戦争の最中に私は丁度イランに赴任していましたが、あのとき西側には「フセイン、イラク、勃興するイラク」というのがあった。一方、こちら側イランのほうにはアフガニスタンがあって、ソ連が入ってきてゲリラ戦が起きた。言うなればイランは、東西から安全保障上の非常な脅威を受けていたわけです。その後、アフガニスタンにはタリバンが出てきて、タリバンとイランは一触即発の状態まで行ってしまう。ところが、今回は“テロとの戦い”によってタリバンが崩され、しかもイラクのフセインも倒れ、それによってイランの安全保障空間はガーッと拡がった。それが、いま我われが目撃しているイランであり、今日のイランの勃興というわけです。
 イランは、そもそも歴史的にみれば、あの地域を覇権的に治めて巨大な国民国家をつくり、ペルシャ帝国をずっと築いてきた国です。その意味では“部族社会であるアラブ世界”とはちょっと違う、民族的アイデンティティがイランの場合は非常に強い。したがって今、再びそれが戻ってきたという感じもします。

 なるほど、かつてのペルシャ帝国のようなイメージが今のイランにあるわけですね。

西川 いずれにせよ、アメリカがやってきたことが、アメリカにとっては“テロとの戦い”で、一方それでいちばん利益を得たのはイランであると——結果からみるとそういう感じです。


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2006年12月4日(掲載)
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