協会の活動状況・会員からの寄稿
SYMPOSIUM_2

アメリカ・イスラム・中国  新政権の日本外交を語る
9・11から5年——激動の国際情勢を多角的に分析


 国分さん。一方で中国は、江沢民(こうたくみん)政権時代はどちらかというと内向きで、国際舞台で主役を張るなど今まではあまり考えられなかったのですが、ここ 2 〜 3 年、胡錦濤政権になってからはどんどん外に向かって出ていくようになりました。資源開発の問題だけでなく、たとえば 6 ヵ国協議を主催する、あるいは最近では「上海協力機構」でロシアと中央アジアと中国、そして今年はイランもオブザーバーとしてそこに入ったとも言われています。しかも、その上海協力機構では「アメリカの対抗軸なる」というような話が出たとも聞きました。中国にとってアメリカという存在、あるいは 10 年ぐらいの期間で見たときのアメリカは、中国にとってどんな存在として映るのでしょうか?

国分 それについては非常に大きな問題なので、ぜひあとでお話ししたいと思います。その前に、私は中国を中から見ているのですが、たとえば日本の政局の話でも、安倍さんはこうだとか、福田さん麻生さんはこうだとか、いろいろな議論があります。同様に中国にも、それどころじゃないくらい違う議論、国内におけるそれぞれの立場の違いと、とんでもない権力闘争があります。したがって、これを押さえて見ていかないと、中国の全体像はなかなか見えてこない。
 簡単にまず 1 点申し上げておきたいことは、アメリカに対して中国は、とくに天安門事件以降は基本的に“頭を上げない”です。つまり、自分が弱いときはできるだけ頭を上げずに力を蓄えて、そして強くなったときに“対抗する”という戦略です。ところが江沢民時代に経済成長したときに、中国はやや自信が付き出した。それでかなり声高な姿勢をとったり、台湾問題に一挙に出て行ったりしてしまった。また、中国のそうした姿勢が逆に、外からはネガティブに見られるようになったという現実があります。
 結局のところ、中国は、イラク戦争についてもアメリカに対する非難はまったく無し。今も、どこを見ても、アメリカに対する過激な批判はまったく出てきません。学者レベルでも同じです。そうなるとこれはもう、上からとにかくガーッと押さえているとしか思えないぐらい、かなりアメリカに対しては「気を遣っている」ことがわかります。この間、胡錦濤がアメリカに行ったときも、もちろん BSE 問題はもうサッサと忘れて米国産牛肉の輸入を解禁しましたし、さらにその前には人民元もサッサと切り上げて、そして「ボーイング社からこれだけ買いますよ」というように、ありとあらゆる場面で非常に気を遣っているわけです。つまり、アメリカには頭を上げない。これが全体のラインとして、あります。また、それは先ほどの江沢民時代も、今の胡錦濤路線も基本的なラインはあまり変わっていません。
 しかし、中国において「外交」は権力闘争のひとつの道具になるわけです。つまり中国の場合、外交は非常に目立つ。つまり自分が権力を握っていることを示すには、もっともアピールしやすいわけです。だから、たとえば 1970 年代、周恩来が毛沢東に徹底的にやられていたときも、やはり外交に出ていくわけです。それが自分の政権の生き残りになっている。
 そして、そういう意味で言えば、江沢民が辞めてからも実はその勢力は非常に強く残っていました。では胡錦濤は、中央指導部にかなり江沢民時代の人たちが残っているなか、どうやって自らの権力を伸ばしていくのか? 彼は、幾つかの新しい政策を展開したんです。ひとつは台湾問題。台湾問題は実は、江沢民時代の中国の最優先課題だった。これを解決すると歴史に残る。かつてトウ小平が香港をやったというのがあったからかもしれませんが、江沢民は「台湾をやる」と宣言してしまった。ところが、失敗したわけです。追えば追うほど、台湾はどんどん自立化傾向を示して逃げていく。結局、江沢民時代と言えば、台湾問題だった。これに対し、胡錦濤はそれを喋らなくなった。それが去年の春からです。つまり沈黙を始めたわけです。背景にあるのはアメリカとの関係です。胡錦濤は、アメリカとの関係を外交で取ろうとしたんです。
 その数年前、2003 年から中国は 6 ヵ国協議を始めた。もちろん、これもアメリカに対するメッセージのひとつです。ある意味で 6 ヵ国協議に入るということは、つまり中国はアメリカのラインに入ったということになる。また、その意味では、北朝鮮から見れば中国が 6 ヵ国協議に入ったこと自体「なんで向こうに行く」ということになる。そして、これらはすべて胡錦濤になってから始まったことです。
 次に胡錦濤が手を付けたのは、江沢民が絶対にやらなかった北朝鮮問題でした。“締め付け”を始めたということです。この締め付けは、多分去年ぐらいから始まったとも言われていて、これもアメリカに対するメッセージだったと思います。つまり中国は、アメリカを取らないともうどうにもならない。また、その意味では、胡錦濤は外交から一挙に入っていったとも言えます。実は、その前に彼は日本との関係改善を意図したメッセージを送ってきました。彼は 80 年代の胡耀邦時代から日本のことを良く知っていた。日本には何度か来ているので土地勘もあり、よく知っている。そして、いわゆる“対日新思考”のメッセージもいろいろと送っていた。ところが、日本はそれをあまり理解できなかった。同時に、中国の中にもそれをインターセプト(妨害)するような動きがあり、さらに反日デモなどがあったりすると結局はすべてがもみ消しになってしまう。したがって、その間に、胡錦濤が専念したのがアメリカということになります。
 台湾、北朝鮮という順番で、胡錦濤はいろんな形でアメリカに対しメッセージを送っていった。一方、アメリカのほうもその瞬間をよく見ていた、と私は思う。つまり江沢民との権力闘争がありますから、そこをよく見て取ったという感じがします。
 大体、中国の中から見るとこんなことが言えるかと思います。それから、実は今回の安倍総理の訪中も、胡錦濤の権力確立に非常に関係しています。しかし、これについてはあとのお楽しみということで、のちほど申し上げたいと思います。


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2006年12月4日(掲載)
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