協会の活動状況・会員からの寄稿
4月19日開催:設立十周年記念ファッションショー特集

「第2回布地調達の旅…そしてファションショーへGO!!」

■ 今回はゆとりある出発!
 当協会は設立十周年記念イベントとして4月19日に文化女子大支援の下,ファッションショーを開催する.しかしイベント開催にあたっては,「ウズベキスタンからの布地調達」が最大の問題であった.

 そのため,昨年末に40kgもの布地を調達したことはご報告のとおりである.しかし,文化女子大から布地の追加注文があったり.特注の布地を取りに行く必要があったり….あぁ,ウズベキスタンが私を呼んでいる.

 今回は出発前に注文品の調達程度が把握できていたの一安心.また,駐日ウズベキスタン大使館及びウズベキスタン航空へのサポート依頼もゆとりを持って対応できた(脚注1

■ 表敬訪問に駆け回る
・2008年2月21日
 早朝4時,タシケント空港に到着.前回と違い空港は閑散としている.実際飛行機は満席だったにもかかわらず,タシケント空港で降りたのは,50人足らず.どうやら大半は,トルコやイスラエルへのツアー客だったらしい.
 今回は「自立しなければ」と出迎えに頼らずホテルまで独力で行く.もっとも空港からのタクシー代は値切ったものの「やっぱり少し高いんじゃないかなぁ」と思った.

 午後からウズベキスタン外務省はアグザムホジャエフ氏を表敬訪問し,あらためて空港の税関等へのサポートレターをお願いする.
 その後,日本センターも表敬訪問し,上田氏に謝恩及び代金の支払(脚注2を済ませるも,お忙しい中センター内をご案内頂く.「お習字教室」の皆さんの筆捌きの素晴らしさ,「剣玉教室」での子供たち──とくに「初段」の少年──の見事なワザに見とれる.

 この2ヶ月間,40年ぶりの寒さが続いたウズベキスタン.出発数日前「春が来たようです」のメールがあったが,この日はまた冬が戻ったようで1日雪が降っていた.

■ 忙中閑あり:サマルカンドへ列車で日帰りの旅
・2008年2月22日
 この日は終日フリー.ところが海外協力隊現地駐在の方々がサマルカンドで「日本祭り」をすると言うニュースが入り,サマルカンドを訪れた.
 三等列車では,最初は遠慮がちだった現地の人たちと一方通行の会話で最後は大いに盛り上がった.また,手渡したKit Katを握りしめたまま身動きもせずジーッとこちらをみつめる5歳の少年.食べる頃にはチョコレートはすっかり溶けてベトベトに (>_<;).

 さて,「日本祭り」では日本を紹介するパネルや玩具等が並べられたり,「日本舞踊をこれから踊るの」と浴衣姿のお嬢さんがいたりと,現地の人達を楽しませていた.ここでは隊員の方々と現地の若者が協力し合って活動をしている姿が印象的だった.
 どこまでも続く春のなごり雪に覆われた綿畑,そしてその向こうの白く輝く天山山脈.そこを越えればタジキスタン….素晴らしい1日だった.

■ 最後の買い物へと街に出かける
・2008年2月23日
 元留学生のディナラさんと極彩色のホンアトラス(写真右)の布地を求め,ツム百貨店とチョルスバザールに向かった.極彩色のホンアトラスはファッションショーの主役である.

 ディナラさんはこの布地を探し求め,40年ぶりの寒波が襲う中,「寒いのだからやめて下さい」と言うまでボランティアで歩き回って情報を集めてくれた.

 チョルスバザールでは,土地っ子のディナラさんと迷子になるも,目の前のoijon(=お母さん)に「こんな布をさがしているの」と説明すると「ヨシャ」とばかり布地をかついできてくれる一幕も….おかげで2種,計70メートルに及び布地が無事調達できた.

■ マルギランからの特注品を待つ
 フェルガナ州はマルギラン.ここは中央アジアでも屈指のシルクの産地である.じつはマルギランのとある工場に布地の単色の染めを依頼していた.

 ところでこの冬,ウズベキスタンは40年ぶりの大寒波に見舞われた.そのため山間部のフェルガナ州では大雪のため停電が発生.おかげでこの工場には電気も届かず休業状態.ようやく2月に入り,工場が1日2時間だけ稼働するが,「仕上がりが思い通りでない」とのことでフェリーダさんは二回も染め直しを指示.

 なんとか染色が終わったものの,今度は大雪の影響で山越えできず,納品ができないとのこと.いったい特注の布地を持ち帰ることができるのだろうか?

・2008年2月25日
 「やっと届きました!!」の連絡を受け,フェリーダさんの事務所へ….美しい布地を見て肩の力が抜けるような安堵感を覚えた.

 責任を持って注文を受けて下さったフェリダ−さん,届けてくださった工場主,そして彼女等を紹介してくださった元留学生のノディルさん,ディナラさん.感謝感謝です.

■ 無事帰国できるか
・2008年2月26日
 帰国前日も忙しく過ごす.
 午前中は4月1日に当協会が主催する「ミニコンサート 『シルクロードの調べを聴く夕べ』」に関して,音楽院の校長先生とお会いし,来日を歓迎する旨伝える.

 午後に入り,ウズベキスタン外務省はアグザムホジャエフ氏を再訪し,ウズベキスタン航空及び税関宛のサポートレターを受領する.

 夕方には,在ウJETROは芝元所長及びウズベキスタン商工会議所のシャイホフ会長(前駐日大使)を表敬訪問する.シャイホフ会長は今回のファッションショーをとても喜んで下さっており,自分たちも日本へウズベキスタン商品紹介に努力していることを熱く語ってくれた.また,「会報(設立十周年記念特集号)に何かお言葉を」とお願いすると,本当に懐かしそうに大使時代の思い出を語って下さった(脚注3

 なお,この会見を調整したノディルさんに「所長と30分ぐらいお話しできた」と話したところ,「私達でさえ,1年に1回,それも5分ぐらいしか話せないの」と羨ましがられた.

・2008年2月28日
 朝4時.シャイホフ氏の秘書シャリポフ氏が見送りをして出さると言うので待つ(固辞したのではあるが).が,現れない.氏に何かあったのでは…と心配だが時間は迫る(脚注4

 出発するしかないと重い荷物をタクシーに積み込み空港へ向かう.2枚の「お墨付き」のおかげか,ウズベキスタン空港カウンター及び最近チェックが厳しい税関も無事通過.機上の人となった時はぐったり.

■ そしていよいよファッションショーへGO!!
 3月に入り,協会員の「4月19日:ファッションショー,シンポジウム」ボランティアの集会を2回行う.会員もファッションショーを目前に,一段と盛り上がる.また,3月19日には会員4名で文化女子大学のドレス製作現場の見学をさせていただいた.
 当日大勢の皆様のおいでをお待ちいたしております.

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脚注1
 前回は出発直前にハンドキャリーでは持ち出せる布地の量に制限があることが判明し,あわててオチロフ駐日ウズベキスタン大使にお願いをしたりと,非常にあわただしかった.>>本文に戻る

脚注2
 布地購入の大半はウズベキスタン日本センター(以下UJC)に担当していただいた.なお,日本への搬送は,シニアボランティアとして本年1月にウズベキスタンに赴任したKさんの手助けを兼ねて観光で来られたご子息にお願いをした.>>本文に戻る

脚注3
 シャイホフ会長は初代の駐日大使.腰が軽く行動的な方で私達の地域イベントがあると必ず大使館員を伴って行事に参加し交流を深めていた.独立したばかりのウズベキスタンを日本に知ってもらおうと暑い夏の盛りの日にも汗をぬぐいながら足を運ばれていたことを思い出す.駐日大使の後,NATO・北大西洋条約機構の大使となられ,帰国後は政府の対外経済担当の要職に就き,いまは経済興隆のために日本との関係強化に力を注いでおられる.>>
本文に戻る

脚注4
 シャリポフ氏から後日E-mailを受領し,出迎えできなかった理由が判明した.どうやら前日の夜に食中毒で緊急入院していたとのことである.>>本文に戻る

(事務局:永峯 和恵)
2008年04月13日(掲載)
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