協会の活動状況・会員からの寄稿


ナボイ劇場建設の日本側責任者
ー永田行夫さんがご逝去ー
 第二次世界大戦後に捕虜となってウズベキスタンのタシケントで抑留し、ナボイ劇場建設の総指揮者として日本兵に慕われていた永田行夫さんが4月11日に亡くなられました。お通夜祭は14日、告別式は15日に永田さんの地元の御殿場で行われ、嶌信彦会長、永峯和恵事務局長はじめ数人の会員が列席、元抑留兵の方々も参列し、見送りました。
 永田さんは、1945年の終戦を当時の満州・奉天(現在の瀋陽市)で、第10野戦航空修理廠、通称第10野戦航空部隊の少佐・作業部隊長として迎えました。その後旧ソ連の捕虜となり、部隊兵と共に現在のウズベキスタン・タシケントへ送られました。ソ連側から下りた命令は、ほとんど基礎工事しかできていなかった建設途中のオペラハウス・ナボイ劇場を革命30周年にあたる1947年10月までに完成させることでした。
 ナボイ劇場は総面積15,000平方メートル、客席1400、サマルカンドの間など三つの控えの部屋(パーティールーム)を持つレンガ造り3階建てのビザンチン風建築で、内部の壁は細かなウズベク文様などを細かく彫り込んだ素晴らしく堂々とした建物。旧ソ連ではモスクワ、サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)のオペラハウスと並ぶ三大オペラ劇場と呼ばれ、完成後は内外の有名なオペラ歌手、バレリーナなどが歴史を刻んできた劇場として世界的にも有名です。

――隊員に親しまれていた永田氏――

 永田さんの部隊は、航空機の修理にあたる技術、作業工兵の専門家集団だったこともあって、シベリアでなくウズベキスタンのオペラ劇場建設に向けられたようです。他の部隊、収容所からも永田部隊に合流し、最高時は457人にのぼりました。永田さんは、それらの兵を土木、床張、足場大工、高所作業、鉄骨、左官、彫刻など約20の作業隊に分け、2年間かけ地元のウズベキスタン人と協力してナボイ劇場を完成させたのです。日本人の仕事は丁寧、真面目、器用などの理由から敬意を持たれ、その後特に1966年の大地震の際にびくともせず倒壊しなかったことから、あらためて「日本」が関心を呼び、1991年の独立後は日本をモデルにした国造りを行っているのです。
 当時第四ラーゲリー(収容所)で永田隊長と一緒にいた抑留兵の方々は、4月15日の葬儀の会場やかつての仲間たちの集まり(ラーゲル会)などで「永田さんは、本当に人格者でいつも皆のことを考えていたし、位によって差別することもなかった。」「永田さんは、戦争中に部下を殴ったりしたところは見たことがない。皆慕っていたからラーゲル会が今まで続いたんだと思う。」「ナボイ劇場を建てている時も、私たちは“隊長”と呼んだり、永田さんと呼んだりいろいろだった。後で聞くと部下が隊長を“さん”づけで呼ぶ隊などなかったといいますからね。」――などとその人柄を懐かしがっていました。
 奥様の安佐子さんや長男の立夫さんは「父は協会の新年会や総会をいつも楽しみにしていました。とくに自分の抑留時代のことに意義を見出してくれたことに感謝していましたね。」と永田さんの思い出を語ってくれました。どうか安らかにお眠りください。
(寄稿者:嶌 信彦)
2010年05月08日(新規掲載)

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