協会の活動状況・会員からの寄稿

ロシア・ウズベキスタン抑留者を供養する会

 戦後ウズベキスタンに抑留された方達は、コーカンド(注1)、ベカバード(注2)、アングレン(注3)、タシケントなどでの強制労働のなかで水力発電所、運河、劇場などの建設に携わりました。みなさまの「まじめで、規律正しく、うそをつかない」働きぶりは、「日本人伝説」としてウズベクの人々の間で語り継がれ、「親日国ウズベキスタン」を産み出す大きな力となっています。
 無事帰国された元抑留者のみなさまはこの10数年、かの地に眠る仲間たちの無念を思い、何回も現地を訪ね、墓地の整備、顕彰碑の建立、墓参をされてきました。しかし、元抑留者の平均年齢が87歳となった今、残る自分たちが元気なうちに最後の法要を行おうとの声が上がり、最年少の加藤金太郎さん(16歳で志願)が中心となり計画をすすめ、10月10日(土)世田谷北烏山の妙寿寺で「ロシア・ウズベキスタン抑留者を供養する会」が執り行われました。
 この日、元抑留者(永見・菊池・高田・加藤の諸氏)、遠く愛媛・大阪・奈良から駆けつけたご遺族をはじめシベリア抑留経験者の加藤九祚先生、協会から嶌会長、その他関係者計21名は、本堂に厳かに響き渡る読経を聴きながら故人を偲び、万感の思いを持って、ご焼香、合掌をいたしました。
 終わってからの会食時、加藤先生、嶌会長の挨拶に続き参加者が故人の思い出、抑留時の思い出などを話されましたが、過酷な環境の中で亡くなった父、兄弟、仲間を語るみなの目にきらりと光るものがありました。
 「この法要で一段落とするが、抑留の記憶は忘れてよいのではない。これからも語り継いでいかなくてはならない。」とみなの思いはまた新たになったのでした。
 お世話役の加藤金太郎さんから、以下のような経過のご報告が届いています。

 私たちは旧満州で、昭和20年8月15日に戦争の終焉を迎えました。私は、独立飛行第81中隊という偵察機隊に所属していました。みな、これでこの忌まわしい戦争状態から脱する事ができるとこの上ない喜びの中に居りました。
 ところが南新京の工業大学で一つの集団にまとめられ288大隊として新京を発ち、黒河(こっか)にて満州国と別れ、ブラゴエチェンスクというロシアの小さな町を通り、みなは極東の港町で船に乗り込むつもりでいましたが、着いたところはウズベキスタンでした。今は亡き植田さんも同じ列車でした。
 これが以後数年間の厳しい旅——というより苦役の始まりでした。あのロシアと云う国をジックリ見る羽目になりました。確かに男が少ない様に感じました。我々の労働力は十分に活用されました。ロシアとしての大事業は、ベガワード地区にありましたハルハードスコイ・ゲース水力発電所の一連の開発ではなかったでしょうか。現在も125,000kwの電力を送り続けていますし、付近の綿畑への水の供給は、ロシアの宝の一つといえます。2000年の今日すでに、アラル海は枯れ果てました。
 さて、当時の日本人にとり、激変とも云える環境で、良くもウズベキスタン全体の犠牲者が812人という少ない人数で収まったと思います。これは気候、特に気温がシベリアに比べあたたかったからだからなのだと思います。
 しかし、私たちの帰国——復員—後の生活は、日本の受け容れがソ連帰りということで思想への反感などが厳しくて、一般人として受け容れられるまでには時間がかかりました。戦前の職場へすんなりと入れたのは、何人いたか。慣れない仕事で苦労した方も多くいました。また、軍籍に在った人々は帰国が遅く、自衛隊への道もとざされ全く新しい職場で苦労した人も多くいました。
 私たちも何か自身で出来る仕事のために、先ず知識を蓄え、ようやく、折を見て自立する事ができました。その頃から、ロシアの仲間、特に私たちが共に苦労したチュアマ時代のグループは、時には仕事を共にする事もありました。また、実力者はやはり名を成していました。林さん(大成建設)、小熊さん(京都龍谷大学での哲学教授)など東京で会を開くと何と60人程が来てくれました。お陰さまで、東京・広島・九州と会も広がり、昔を忍び、ひと時を過ごす事ができるようになりました。しかしこれもほんのひと時に過ぎませんでした。野田皓一さんと日本ウズベキスタン協会を立ち上げましたが、その時は、昔の仲間は減少して一握りしか現れませんでした。
 やがて時は移り、中山恭子先生が日本の大使としてウズベキスタンで活躍されました。私たちは東京、福島、各地の仲間の協力で、ウズベキスタン国内の全ての日本人の墓石の整備と、顕彰碑の建立をすることが出来ました。
 さて、私たちも歳を経て、既に仲間達の平均年齢は、87歳となり、多くの仲間たちが亡くなられています。ここで今こそ皆さまに感謝すべきと感じ、ご供養の会をいつ実施すべきか、ただ心急ぐばかりでした。昨年末伊予の渡辺さん(京大卒・愛媛大学教授)が亡くなられた事を知り、このことを機に我々が皆様へのお礼として法要すべきと思い実現の運びとなりました。
 お陰さまで、関係の皆様からのご賛同を得、また、烏山の妙寿寺の御住職も快くお引き受け下さりました。
 ご賛同の皆様、寺の皆様に心より御礼いたします。

注1 ウズベキスタン共和国東部のフェルガナ州
注2 ウズベキスタン共和国タシケント州
注3 ウズベキスタン共和国タシケント州
(寄稿者:加藤金太郎ほか)
2009年10月25日(掲載)

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