協会の活動状況・会員からの寄稿


“2009年新年会”
《仏教遺跡、シルクロードの話でうっとり》
−加藤九祚さんの人柄に満場ため息−


 当協会の10周年事業の悼尾を飾る2009年新年会は1月17日(土)の午後、日本プレスセンターで中山恭子参議院議員をはじめ、各界を代表する来賓を招いて行われた。今回は加藤九祚先生のトークがメインイベントで、シルクロードの遺跡発掘秘話や中央アジア史をユーモアたっぷりに話され、会場の人達は「今年は正月からとてもいい話を聞いた」と皆さん喜んでいました。

 加藤さんは上智大学でドイツ語科の学生の時に徴兵され、満洲に渡った後 5 年半にわたり旧ソ連のシベリアに抑留された。シベリア抑留の悲惨な体験は様々な本に記されていますが、加藤さんは「悲しがっても仕方がない。この際ロシア語を徹底的に勉強してやろう」と決心したそうです。そのロシア語が後に考古学者の道を開いたといいます。

 帰国後、上智大学を正式に卒業し平凡社に入社しましたが、この時代に梅悼忠夫、今西錦司氏らと知り合ったことや旧ソ連旅行といえばつねに声がかかり。井上靖氏と共に西域旅行も行った。そのうちに中央アジア・シルクロードの発掘に興味をもち、何と 60 歳からウズベキスタン南部の仏教遺跡を探し始めます。西遊記で有名な玄奨(三蔵)法師がインドからシルクロードを往復して仏教教典を中国に持ち帰り、それが日本への仏教伝来につながったわけです。

―60歳から始めた発掘―
 「調査研究であたりをつけアフガン国境付近のテルメズ地区を掘ったところ、4〜6日で最初の発掘に成功し運がよかった。その後は 84 歳になるまで毎年2〜4ヵ月はウズベキスタンに滞在し、現地の人やボランティアの方々と現地に別荘を建てて、もう 20 年過ぎたなぁ」と顔をほころばせます。日焼した顔ながらやさしい目と穏やかな語り口、柔和で人を魅きつけるキャラクターが人々を加藤さんの周りに集めるのでしょう。酒を愛し、歌を好み自ら作詞した「カラテパ発掘の歌」のCDもあります。

 中央アジアは様々な民族の交錯、交流した地でウズベクはオアシスであったため農耕民族がいたが、多くは遊牧民族の興亡の地でありました。遺跡も砂漠地帯に多く、砂に埋もれた数百年も前の街や遺跡を掘りおこして複雑な歴史の「ジグソー」を埋めているわけです。加藤さんは現在、国立民族博物館の名誉教授でもありますが、「私の希望は発掘しながらバッタリ行くこと」などと語り、その大らかで人を包み込むようなシルクロード論と人生論に全員が聞き惚れた。トークのお相手は嶌会長がつとめました。

「国立レインゴールドグリエール音楽院生」の生演奏
 また、この日は群馬県で行われる音楽祭に参加するために来日した国立レインゴールドグリエール音楽院の二人の生徒及びクルバノフ校長が数曲演奏をした。
(出典:協会会報41号ほか)

「新年会 ボランテイア役員として参加して」
 ウズベキスタン協会主催の新年会に運営役員として初参加しました。500 年前のウズベキスタン大詩人ナウイー先生は、「友情こそ、新の幸福の砦なり」、また「心から歓喜するがよい。汝が友に囲まれているならば」と謳われました。アッサローム・アライクム!の光景が今ここに展開されていると思うと、緊張感が走ります。

 担当は、受付・演壇のセッテイングそして書籍の販売などです。演壇の国旗はもう少し立派なものが用意できたらいいなぁ…などと思いながらも結ぶのに苦労しました。書籍販売では、加藤九祚先生の著作が30冊完売できたことは、中央アジア考古学第一人者への関心の高さと同時に、「何としても完売するぞ!」という関係役員の熱意に頭が下がりました。

 加藤先生のトークで感じたことは、抑留を留学と読む男意気と超楽観主義、そしてシルクロードへの志を生涯にわたって貫いている信念と行動は、閉塞感に覆われそうな私たちに、力強いメッセージを与えています。

 祝賀パーティーでは、日本で映画制作を学ぶ演出脚本家「ウマロフ・ブニョード」氏と知り合うことができました。「三丁目の夕日」の脚本家と共同で、「愛」をテーマにした日・ウ合作の映画を制作中とのこと。楽しみがまた一つ増えました。
(寄稿者:東山 嘉明)
2009年3月22日(掲載)
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