協会の活動状況・会員からの寄稿


■□■ 協会設立 10 周年記念事業          
ウズベキスタン8日間(感想文)■□■

【日程表】
9月18日----
 入国手続後、国内線に乗継ぎウルゲンチへ…。その後、バスでコスモスの咲く道をヒヴァに…。
 昼食後イチャン・カラ遺跡を見学するが、遺跡までの間、みんなお土産物屋さんに引っかかって前に進まない。----ヒヴァ泊

ヒヴァにて
9月19日----
 8:00に出発ステップ地帯を通り抜け、キジルクム砂漠を450kmを走ってブハラへ…。人影のない砂漠にも植物サクサクル、保護色に身を包む小動物(トカゲ・りす)小鳥たちの姿。ペットボトルの山に現実に引き戻される。----ブハラ泊

9月20日----
 ブハラ観光(アルク城の見学。ブハラジャパンセンター並びにブハラ大学の表敬訪問。なお、ブハラジャパンセンターでは持参した着物、人形、CDを寄贈。学生には着物の着付けも行った)。
  昼食はセンター責任者サイフトジンさんとスタッフ、女子生徒を昼食に招待し参加者と交歓会。----ブハラ泊

ブハラにて(その1)
〈ブハラジャパンセンター、サイフティジンさんからのお礼状〉
 先日はお忙しい中、UJCブハラ分室にお越しいただき、我々のためにたくさんのプレゼントをお持ち頂き、心からお礼を申し上げます。そして日本人と会話をするチャンスがあまりないブハラUJCの受講生とも交流をしていただいたこと、非常に嬉しく思っております。
 さらに日本ウズベキスタン協会会員の皆様とも素晴らしい懇談もでき、ありがとうございました。
 ただいま、ウズベキスタンではラマダン時期も終り、昨日からUJCスタッフはじめ、受講生みんな元気を出して、一生懸命に頑張っております。ブハラUJCは東芝国際交流財団様や日本ウズベキスタン交流協会様と御縁を大事にして、これからも発展していきたいと思っておりますので、どうかこれからもご協力お願いいたします。
 大変お世話になっておりますが、今度ともよろしくお願い申し上げます。

9月21日----
 ブハラからシャフリサブスを通りサマルカンドに(480km)。途中ブハラ大学フランス語学科の学生たちの綿摘みをしているところに出会す。----サマルカンド泊

9月22日----
 午前中レギスタン広場を取り巻く3つのメドレッセ見物。11:30よりサマルカンド外国語大学を表敬訪問。Yuldoshev Ahmadjon東洋講座長の挨拶を受け、協会から辞書2冊並びに東芝国際交流財団からCDを寄贈。
 大学生は綿摘み(原則として2ヶ月)に駆り出され不在。しかし、リセ(高等学校)、観光カレッジで日本語を学ぶ生徒たちが50名ぐらい集まってくれ交歓会。
 歌、踊りのお礼に参加者も急遽舞台に上がり3曲歌を披露。昼食に大学の先生、生徒、JICAスタッフなど25名あまりを招待。
 その後ビビ・ハヌム・モスク見学。バザールへ(あいにくの休日であった)。
 また、3名はJICA海外協力隊隊員の山田さんの案内で、郊外のエル・メロスという紙工房を見学した。
 夜は、EL MEROS劇場で豪華なショーを楽しむ。----サマルカンド泊

サマルカンドにて
〈サマルカンド外国語大学 オゾダ先生よりのお礼状〉
 こんにちは。遅い返事申し訳ございません。メールいただいて本当にうれしく拝見いたしました。
 私も高校生たちも皆様とあえて大変うれしく思っています。また会えればいいですね! いつも学生達からそういわれています。私たちにとってはいい思い出になりました。土産を頂いて学生が皆様に感謝しています。

9月23日----
 8:00出発でタシケントへ(360km)。お腹の調子を悪くする人が増えてきた。午後2時ごろようやくタシケント駅側の中華料理屋にたどり着く。
 ここで「中央アジアコース」の人たちと合流。いったんホテルにもどり、その後アライスキー・バザールで干しブドウ購入。なお、菊田、中井両氏は東洋大学を表敬訪問。
 ヤッカサライ日本人墓地を参拝。
 18:00からナボイ劇場2階ニューワールドで行われたパーティーに参加。打ち掛・振袖の各2点、袴・日本人形の各1点をエクスポセンター副所長Oybek MIRBABAEV ANVAROVICH氏に嶌会長より手渡す。----タシケント泊

【感想文】
■ 寄稿者:松原 真夫(団長)ーー中央アジアの友邦 ウズベキスタン

 ウズベキスタンをはじめ、中央アジアの国々を包含する「西域」は、かつて、多くの日本人にとって「聖域」でもあった。そこは、多くの日本人にとって、訪れることを希んでも、決して容易には叶うことのない、「遥けき領域」であった。あの井上靖や司馬遼太郎でさえ、永く訪問を希求しながら、その実現までには、10年を超える歳月を要した。

 交通手段の発達と国際情勢の変化が、そんな状況を大きく変えた。今は、極く普通の人でも希めば容易にそこを訪れることが可能になった。そして、この度、日本ウズベキスタン協会は、協会創立10周年を記念して嶌会長と行く「ウズベキスタン8日間」「中央アジア周遊8日間」の2つのツアーを企画実行した。期間は9月17日から24日まで、参加者は両コース合わせ52名、いずれも好天に恵まれたツアーとなった。
 思いがけなくも突然に、ウズベキスタンコースの「名ばかり団長」の任を仰せつかった私も、初めてのウズベキスタン旅行を大いに堪能させていただいた。「ヒワ」「ブハラ」「シャフリサブス」「サマルカンド」と、ウズベキスタン共和国が誇る4つの世界遺産の地をめぐりつつ、「サマルカンド」や「タシケント」では、現地の若い人々と親しく交流する機会も得た。
 紀元前からの悠久の歴史を有しながら、度重なる戦禍や破壊のため現存する遺跡は専ら9世紀イスラム化以後のものに限られてはいるが、それでもその美しく修復された各地の遺跡群には、どれも目を見張る思いがした。
 異文化との触れあいは、常に旅を刺激的なものにする。
 紺碧の空を背に光輝くコバルトブルーの丸屋根や、バザールの喧騒と雑踏に旅の醍醐味を感じ、バスの車窓遥かに展開する雄大な眺めには、ふと、移動時間の長さを忘れる、そんな数日間の旅であった。
 そしてもうひとつ。サマルカンドの交歓会で受けた、若い人たちからの心のこもった歓迎。彼らの純で一途な日本への憧れ。日本には、こんな貴重な財産があった。我々日本人は、それを育みその期待に応える努力をしていかねばならない。そんな思いの募るひとときであった。
 今回の旅行でウズベキスタンは、私のなかで「遥けき西域の異邦」から「親しきアジアの友邦」に変貌した。そしてそれは日本ウズベキスタン協会が目指す最も基本的な部分でもあることに今更ながら気付いた次第だった。

サマルカンド外国語大学にて

(以下、敬称略及び50音順にて掲載)
■ 寄稿者:阿部 和義
  9月21日の日曜日のこと。ブハラ観光からサマルカンドへ向かう途中に思いかけないことが起きた。ウズベキスタンの最大の産業である綿花の収穫の様子を見た。
 畑で収穫している一団をみかけバスを降りた。すると向こうから女の子がカメラを持ってきた。ブハラ大学の先生が、日曜なのに生徒と綿花の収穫を手伝っているとのこと。フランス語の先生は白い綿花を摘んで我々にくれた。こちらも永峯事務局長がアメなどを渡した。これぞ、日本とウズベキスタンの友好だと感じた。

綿花畑にて
■ 寄稿者:伊藤 雄一
  私のシルクロードの旅は、2年前の西安、敦煌、ウルムチ、トルファンから始まり、昨年のイスタンブールと今回の旅で背骨は繋がりました。ウズベクも決して豊かな国ではないが明るく国を持つ民族の自信が感じられ、その点国を持たないウイグルとの違いを感じた。

■ 寄稿者:井上 茂幸
  地理的にも歴史的にも遠く離れた土地で、思いがけなく出会った人たちの笑顔ともてなし。大きな感動と思い出をいただきました。

■ 寄稿者:上野 志津代
  「サマルカンド・ブルーに会いたくて!」長年の私の夢を叶えてくださった協会に感謝します。ウズベキスタンの人びとの笑顔、すてきな旅の仲間、おいしいワイン、豊かな時間を過ごすことができました。

■ 寄稿者:菊田 司津子
  ヒバァ、ブハラ、サマルカンド、タシケントと一日おきに砂漠を7時間かけての移動はかなりハードな行程でした。かつて唐の玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)をはじめ、シルクロードをラクダやロバやでオアシスからオアシスへと旅した人々が、きつく、気が遠くなるような時間のかかる道程を、新しいものを求めて歩いたか。砂漠を車で移動しながら、文明の交流を発展させた当時の人々の熱意に対して、しばし強い感銘を覚えました。

■ 寄稿者:坂間 明彦
  壮大なモスクやミナレット、広大な砂漠の中の過酷な移動、綿花摘み体験、日本語を習う大学生との交流、日本人墓地への墓参りなど多くの感動というお土産を持って帰りました。

■ 寄稿者:佐々木 透
  砂漠、オアシス、駱駝の国というイメージでした。しかし、予想以上に緑豊かなオアシス、壮大なイスラム建築、素朴な農村風景が残っていました。特に、夕日が沈む時の紺碧の空はこの世のものとは思えない程の美しさでした。

■ 寄稿者:正垣 みい子
  ずっと漆喰壁の部屋で快適! 煉瓦や装飾タイル、木彫の扉や柱、花の刺繍布に囲まれ、果物も美味で幸せでした。綿花の収穫に駆出された学生達や、街で笑いかけてくる子供達。近代化でこの国はどう変わるのでしょう。

■ 寄稿者:泉地 俊孝
  中山恭子さんのお話通りの歴史のある気持ちのいい国だった。紺碧の空、黒い羊、白い綿花畑。砂漠を見て水の有難さを知った。チムール帝国の中心地サマルカンドで日本の文化に興味を示す若者達に会い新しい芽を感じた。

■ 寄稿者:中井 文雄
  私にとっては、旅とはその国と人々にふれあうことです。協会10周年記念の旅としては、ありきたりの観光旅行だったが、ブハラでのジャパンセンター、サマルカンド外語大学、紙工房の訪問、そしてナボイ劇場のパーティでようやく、らしきふれあいを感じたが、もっと個性的な旅を期待していたので残念でした。

■ 寄稿者:永峯 和恵
  日本語を学ぶ大学生、高校生との交歓会。綿摘みの大学生とのつかの間の交流など、“人との触れ合い”に満ちた旅でした。今度は「綿摘みをして農家の庭で昼寝—ろばの荷車に乗ってカタコト移動の旅」をしてみたい。

■ 寄稿者:長尾 俊雄
  初めてのウズベキスタンの旅は、聞くと見るとは大違い、砂漠は王子様と王女様が行く月の砂漠ではなかった。中国の向こう、シベリヤの南にある位にしか思っていなかった中央アジアの姿が明確になり、絹の道が実感できた楽しい旅でした。

■ 寄稿者:長尾 靖江
  雲ひとつない青い空の下で時がゆっくり流れていた。何百年も前の美しい建物のそばで、今日も、ヒヴァのおばちゃん達は室内履きを編み、ブハラやサマルカンドの商人達は値段の交渉をしていることだろう。

シャフリサブスにて
■ 寄稿者:蕪木 寿
  あこがれのシルクロード。「サマルカンド」と言う名の響きが我々の青春時代には遥かなる夢のような異郷「ユーラシア・絹の道」を思い起こさせてくれた。
 しかしその地を実際に旅行してみると、想像を超える超広大で、延々と続く沙漠・砂漠地帯は苛烈で強烈な土地でした。そんな激しい気候だからこそなのか「天空の紺碧・サマルカンドブルー」と言われる青空の澄み切った美しさは格別でした。

■ 寄稿者:藤本 末治
  異文化圏の旅は想到に異質なことを聞いたり、見たり、体験すると思い好奇心一杯で出発したのでしたが異質性より同質性が強く拍子抜けしました。1290kmに及ぶバスでの行軍は末永く思い出になる旅でした。窓ごしの景色は視界が広く遠く無表情の連続ですが楽しく面白いものでした。また参加します。

■ 寄稿者:村田 歓吾
  学生時代の友人に会うと託けて参加。モスクやメドレセは14世紀ごろからの輝きと思っていたが、復元したものが多いとは予想外だった。赤茶けた砂漠と草原、そこで生きる人や牛・ヒツジ、そこにも世界遺産の生命力を感じた。

2008年11月3日(掲載)
このページのトップへ移動する
© Copyright 2001 - 2021 The Japan-Uzbekistan Association. All Rights Reserved.
日本ウズベキスタン協会 〒105-0003 東京都港区西新橋1-17-1-3F TEL03-3593-1400 E-mail:jp-uzbeku@nifty.com
嶌信彦のホームページはこちら