協会の活動状況・会員からの寄稿


2006年度ウズベキスタン旅行のご報告

 
【旅行日程】
5月3日 PM9時 成田発
関西空港にて依田夫妻と合流
4日 AM4時 タシケント着
アザマット君のイケメン弟の出迎え(以後ブハラまで世話になる)
ホテルにて休息、午後バザール
ナボイ劇場へ(元留学生・サンジャル君の父君案内による館内見学、オペラ一幕鑑賞)
(タシケント泊)
5日 AM7時 ウルゲンチへ
ヒヴァ観光 郊外にて夕陽鑑賞
中村氏夫人バースディ
(ウルゲンチ泊)
6日 ブハラへ 470km移動 青空トイレ
夕食後ハマムへ
(ブハラ泊)
7日 ブハラ市内観光
アザマット君実家でラグメン作り昼食(一家総出の歓迎)
ミナレットに上り夕陽鑑賞 民族舞踊
(ブハラ泊)
8日 サマルカンドへ
アザマット君母君経営のスザニ工房、ギジュドヴァン陶芸工房見学
途中車が故障、民家でヨーグルトをごちそうになる。
(サマルカンド泊)
9日 サマルカンド市内観光
午後康和学院生と昼食、1名が2〜3名の学生と観光。
夕食時、花井さんバースディ、イルミネーションショウ見物。
これまで連日晴天。気温30℃。
(サマルカンド泊)
10日 午前中サマルカンド観光ののちタシケントへ。
青空トイレ。桑の実を食す。
(タシケント泊)
11日 タシケント市内
日本人墓地訪問、午後自由行動(皆買い物へ)
PM10時 飛行機に搭乗し成田へ
(機内泊)
12日 AM9時 成田着。
さすが疲れたのか皆家へ一目散。
総勢17名による5月3日〜12日の旅行は事故もなく、又体調をこわし医者の世話になることもなく、全員満足した笑顔で帰国しました。この報告ができることをなによりのことと思っています。
私にとっては2000年の第一回旅行のことがいつも頭の隅に残っていました。これが杞憂に終わったことは参加者が事前の研修会においての注意事項を理解し、自己の体調管理を徹底したことにつきるでしょう。旅行企画委員会の基本プランには (1) 初めての方を主とした定番コース及び最適シーズンの5月に旅行 (2) 元留学生の活用―アザマット君(現在日本の旅行社に勤務)による企画から添乗までの参加、現地ガイドはルスタム君 (3) 2回も連泊のあるゆとりの10日間 (4) 現地で日本語を学ぶ学生たちとの半日にわたる交流を掲げ、3回の研修会では、<1>シルクロードの歴史、地理 <2>日本との係わり―大塚さんによるナボイ劇場建設講演、加藤さん他3名による抑留追憶談 <3>アザマット君による現地事情説明、とりわけ飲食の注意とトイレット事情の説明など旅行への準備等の話し合いが行なわれました。
9日のサマルカンドでのフランス旅行団にはビックリしました。(しかし1位はイタリアでフランスは2位)日本は減少しているとのことでした。その原因として考えられるのは治安に対する不安でしょう。募集時の質問でもこれが一番多かったのですが現地に来てみれば何も怖いことはなかったとのことでした。このイメージの払拭に我々関係者もこれから最大の努力しなければならないことでしょう。
また、康和学院の生徒は日本語研修に対してものすごく熱心でした。しかし私と話した生徒3名の第一専攻はイタリア語、次が日本語でした。観光客の多少が影響しているようです。手っ取り早くお金が稼げるガイドのための勉強でしょうが。これも問題のように思います。観光産業だけでないバランスの取れた日本との関わりを今後期待したいものだと思います。最後に参加された方のみならずこの企画に参画された方々のご協力に感謝いたします。そして、次回の旅行がよりよいものになることを期待してやみません。
団長・理事 森田 総典
 
(以下、参加された皆さんの感想)
【会員】
念願のウズベキスタン旅行。何処へ行っても、何を見ても目をみはるばかり。
何世紀にもわたって人々とあらゆる文化がこの地で出会った。太平洋から大西洋に至までの商人たちと職人たちがこの地に足跡を残し、いつの時代の先人も彼らの印を残した。偉大な科学者達はこの地に留まって彼等の知識と研究を発展させ、成就させた。この地の風には人世を感じる。旧い街の壁からの囁きを風は運ぶ。人々の顔には何世紀もの間の経験が刻まれている。サマルカンドの歴史博物館を観て廻っているうちに、こんなことを漠然と考えていた。
(花井 寛)

5月5日にヒヴァ近くのエション ブラバット村に星空を見に行く。残念ながら星空はあまり見えなかったが。夕日が美しく感動。アシのしげる湖のほとり、現地の家族の皆さんが歌と踊りで歓迎してくれた。中村さんの奥様の誕生祝で盛り上がり、村長さん(?)もあいさつに。この土地ながらでは味わえない独特のふんいきが好ましかった。パオの中でチャイを飲みながらゆったり過ごし、星もよく見えないので、そろそろ帰ろうか。楽しい一夜だった。
(依田 武)

私の人生にとって、少なからぬ因縁のあるサマルカンドを訪れてみたくて今回の旅行に参加しました。タシケントの空港に到着後、トイレとウズベキスタン的なルーズさとゆったりさに違和感を感じましたが、砂漠の中を旅するうちに、自然と馴染んでいたようです。ゆったりとしたウズベキスタンの人々を眺めているうちに、東京で毎日アクセクしてカリカリしていることが貧しくて、ウズベキスタンの人々の中に豊かさを感じるようになりました。
サマルカンドで話した学生の人種の多さに驚きましたが、彼らの友人の人種には全く頓着していない様子を嬉しく思いました。毎日ニュースで聞く民族紛争も何時かなくなることを確信した旅でした。
(飯山 清美)

5月9日午後、日本語を学ぶ18名の学生、教師3名とサマルカンド大学近くの民家でウズベク料理を食べながら交流の時を持ちました。数名の学生が日本語でサマルカンドの生活や、彼らが日本語を学んでいる「康和学院」の山本先生の事、チムールとパン屋の話や衣服のことなどスピーチしました。
互いに自己紹介、メールアドレスの交換後、訪れた康和学院は地下の一室―ここで週3日、彼らは日本語を勉強しているのです。教材、辞典が不足していると伺いました。
その後、グループに分かれて街を散策。博物館を訪れたり、乗合タクシーでバザールに行ったり、チャイハナでおしゃべりをしたりと、学生たちの案内で夕方まで楽しい時を過ごしました。
(松田 光江)

【非会員】
私の今年のバースデイはヒヴァからダートの道を揺られて着いた砂漠の中で迎えました。急に「お誕生日の人が居ます。」といわれ思わぬことに年甲斐もなく頭がボーッとしてしまいました。遊牧民の人達の舞踊の中に私の為のお祝いの踊りや村長さんからの祝辞をいただき、美しい残照と何処までも続く砂漠の景色は生涯忘れることはないでしょう。生憎星空は見られませんでしたが美しい花束とシャンペンの味、初めて入ったパオの中、そして青空トイレの快感も楽しい思い出となりました。
(中村 礼子)

ブハラからサマルカンドに向かう途中バスが故障し、道端で修理の終わるのを待っていた時のことでした。すぐ側の村の子供たちと写真を撮ったり、ワイワイやっていると、お母さんらしい人が来て、家に入らないかと言ってくれたのを、丁重にお断りしていたら、できたてのヨーグルトを持って来たり、多分庭に咲いていただろうバラを花束にして渡してくれたのです。こちら側も、折鶴を教える人、ジャンケンを教える人ありで、思いがけない交流ができました。これぞ旅の醍醐味と実感した一刻でした。
(依田 雅子)

昨年3月開催されたシンポジウムに参加してから是非一度は行ってみたいと思っていたウズベキスタンを訪問できて本当に良かったと思っています。全く知らなかった歴史を数々の遺跡の見学を通じて少し理解が深まった様に思えます。ブハラのホテルでの学校の売店から持ってきたような溶けたアイスクリーム。洗濯に出した自分のラウンドリーバッグが戻ってこなかったこと等本当に微笑ましい思い出が一杯あります。改めて企画された方々に多謝。
(中野 敏雄)

旅行前にナボイ劇場建設に参加した人々の体験集を読ませてもらい自分なりのイメージがあった。私も1942年奉天で生まれた。父は当時20歳代であり建設に係わった人々と同年代であった。当時の日本人の仕事がどんなものであったのか父の面影とダブらせて興味があった。ナボイ劇場は威風堂々とした立派な建物で圧倒された。周りのポプラの緑と黄色のレンガ造り建物の色合いのマッチ、造形の美しさに感動した。こんな素晴らしい仕事をした日本人の先達の優秀さ勤勉さに誇りを感じ、大きな力を得た。
(中村 征人)

私とウズベキスタンとのかかわりは、約10年前に“フト”スイッチを入れた車のラジオ放送から始まります。今まで聞いたこともなかった中央アジアにウズベキスタンという国があり、そこで日本にあこがれを持つ学生たちによる日本語の弁論大会があった、というニュースを聞いたことに始まり、その優勝者を日本に招待し、その年に“青の都”ウズベキスタンを初めて訪問しました。
今回、8年前の再訪以来3度目の訪問をしましたが、その近代化には目を見張るばかりであるとともに失われていくシルクロードのイメージにちょっぴりさみしさを感じました。
(松永 守由)

シルクロードの交差点と言われるように、美しく観光資源に恵まれた国です。
サマルカンド康和学院の生徒たちと話してみても、将来は旅行関係の仕事に就きたいという希望者が多かったです。
しかし国の発展を考えた時、第三次産業だけではなく。豊富な地下資源を利用した第二次産業の育成が必要でしょう。
大学進学率が50%と聞くが、卒業生の大部分を観光関連で吸収出来るわけがないでしょう。大学は出たけれど.・・・では、社会不安を増長させるだけです。
観光収入などテロ1回で急減するでしょう。康和学園以外の学生の意向は知りませんが、日本語を学ぶ目的がガイドに成る為だけでは寂しいです。
ウズベキスタンの工業化の為に日本人は何が出来るのかと考えさせられました。
PS.小生のオアシス感がいかにハリウッド映画によってゆがめられていたかが良くわかりました。
(金子 潤二)

今回森田様の誘いによりウズベキスタンの旅行に参加させて頂きました。出発前にはこの国に対する知識は誠に貧弱なものでありましたが、帰国時には自分なりに体験的知識を語れるようになりました。ウズベキスタンの気候、この国の砂漠の特色、オアシスの大きさ、数々の歴史的遺跡、料理の特色等正に“百聞は一見にしかず”です。今回の旅をきっかけとして次回は西安からキルギス、ウズベキスタン方面に向けてシルクロードを西進してみたいと想像しています。今回の旅行に感謝しております。ありがとうございました。
(一言 一博)

私は、妻の梅子と人生の再出発を決め4月の末に内輪だけの挙式を行い、新婚旅行として、今回のツアーに参加させて頂きました。
ウズベキスタンという国は未知の国・地域でしたが、今回初めて知り、人々の笑顔、青い空、青や緑を基調としたタイルのモザイク模様の寺院、神学校、霊廟などの素晴らしい世界が、私どもの心に染み渡りました。
古代にはアレキサンドロスに、8世紀にはアラブに、13世紀にはチンギス・ハーンに、近代に於いてはロシアに侵略され、その都度民族の知恵と勇気をもって復活させてきたウズベクの人々を今回知りえたことは大変感激しました。
そして、第二次世界大戦終了時に捕虜として抑留された、元日本兵の存在も初めて知りました。お国の為、家族の為に戦地に赴き、大変苦労され無念のまま帰国できなかった元日本兵の墓地参拝は胸の詰まるものを感じました。その近くには元ドイツ兵の墓もありました。平和の尊さを噛締めました。
中央アジアの魅力を体験した今回の旅行をきっかけに、他の中央アジア諸国やシルクロードの拠点都市・地域の旅行をしてみたいと考えます。それらの地域・国のことを勉強し各地の人々と友好を築き深めていく所存です。
森田さん、協会の方々、現地ガイドのルスタムさん、風の旅行者担当のアザマットさん、その家族の方々、そしてウズベキスタンの人々に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
(秋山 孝・梅子)

私は国際交流をすすめ対日理解の促進を図るとともに国際社会・現地社会に広く貢献することを目的にしている財団に勤務しています。
この度この訪問させて戴き、タシケント東洋大学の日本語教師不足の問題、サマルカンドの康和学院の日本語教材不足、図書室には、辞典が4冊日本語教材が初級、中級、上級とありましたが、コピーをして使用している状態であり、ブハラの国立大学も同様の状況であることなどがわかりました。
学生達の交流会に参加して彼らの日本語に対する学習意欲は、すさまじいばかりの勢いがあり、教材不足を痛感致しました。学生達に将来の夢を聞いたら、先生とガイドになりたいといっていました。目的意識をしっかりもっていて感心しました。そしてすばらしい独創的な力を発揮する人間に育ってくれることを心から期待しています。
今回貴重な体験ができましたことを心より感謝申し上げます。
貴協会の御発展をお祈り申し上げます。
(菊田 司津子)

 
2006年6月8日(掲載)
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