留学生とトークの会活動報告



●留学生トークの会のご案内

この会はNPO日本ウズベキスタン協会の留学生支援事業として、留学生と多くの会員および一般の方々とともに相互の文化交流を図り、理解を深め、人と人の和を広めることを趣旨としております。
内容としてはウズベキスタンの最新情報、経済、歴史、生活、あるいは留学生の日本での体験などさまざまなテーマを学生たちと相談し、また、参加者の希望に添って決めております。
アットホームな雰囲気の中で、いろいろな大学で学んでいる学生たちの豊富な知識、素朴な感性そしてパワフルに情熱的に語る姿勢に私たちも元気をもらい、また大きな感銘を受けることも度々です。
2011年留学生とトークの会活動報告(2013.08.09掲載内容一部削除)

2012.02.10 第 112 回トークの会報告
【講 師】 イワン・ステイヤ・ブデイ(東京外国語大学博士課程ー日本文学専攻)
【日 時】 平成 23 年 12 月 15 日(木)
【テーマ】 音楽を通して、インドネシアと日本の関係をみる
 今回の講師のイワンさんは2005年にインドネシアから日本に来られたそうです。
 来日後のある休日に、イベントで「ブンガワン・ソロー」というインドネシアの昔の歌を聞き、日本で知られた歌であることに驚いたそうです。トークの会参加者からも「知っている!」という声がよく聞かれました。ただ、この歌、インドネシアではあまり知られていないそうです。
 逆に、インドネシアでは五輪真弓さんの「心の友」という歌が様々なアーティストにカバーされる程人気であるのに、日本人はあまり知りません。
 この話を聞き、私は、「少女時代」や「KARA」は韓国では実際にどのくらい人気があるのだろうと思いました。以前、テレビで韓国のダンススクールを見た時、初めから「日本の市場で売れる事」を目指して練習していました。最近、自動車や家電などでも現地仕様でないと売れないという話を聞きますが、文化もそうなのかなと感じました。
 イワンさんの発表の中で「AKB48」のインドネシア版「JKT48」の映像も見せてもらいました。年齢は12才〜16才が主流だそうです。「AKB48」よりも年齢層が若干低くなっているように感じました。これも「AKB48」がそのままインドネシアで歌うのではなく、文化の現地仕様化の一例だと思います。
 この原稿を書いている日に見たニュースでは「インドで「巨人の星」がリメイクされる」そうです。ただし野球ではなくインドで大人気のクリケットを主人公がプレイするそうです。一方、日本で人気の「名探偵コナン」や「ドラえもん」等は、そのままインドネシアでも人気だそうです。
 このように、何が売れて、何が売れないかを見てみると、その国の雰囲気が少しずつでも分かってくるような気がします。
 イワンさんが言われていましたが、音楽等の文化をきっかけに日本人とインドネシア人が今まで以上に分かりあうことができ、それが経済など多方面に好影響をもたらす事につながっていけば、お互いに発展していけるのではないでしょうか。
 2011年は「絆」の大切さが実感された1年でしたが、年末に面白い切り口から絆を深めるきっかけ作りを知ることができたように思います。イワンさん、ありがとうございました。
(寄稿者:塩野 泰大)
2012.01.14 第 111 回トークの会報告
【講 師】 コントレラス・アレハンドロさん(東京農業大学)
【日 時】 平成 23 年 11 月 21 日(月)
【テーマ】 遠い国メキシコと日本との深いつながり
 トークの会ではじめてメキシコの留学生を招きました。コントレラス・アレハンドロさん(ニックネームはアレックスさん)はメキシコの中央部にあるプエブラ州テウアカンで育ち、チャピンゴ自治大学農学部から、東京農業大学バイオビジネス学科に留学中です。
 パワーポイントを使い流暢な日本語で故郷テウアカンの食べ物(原産のトウモロコシのスープやナンみたいなもの)・歴史(アステカ文明など)を語ってくれました。ほとんどの日本人にとってメキシコは遠い国です。しかし、アレックスさんの希 望は日本とメキシコの歴史をもっと知ってもらい、メキシコのことを日本人がもっと理解してほしいということです。
 1609年、メキシコの船が、フィリピン・マニラからメキシコに行く途中、日本の千葉県御宿の浜で座礁、村の人たちが多くのメキシコの人々を救ったのだそうです。今、御宿はアカプルコ市と姉妹都市になり、メキシコの踊り子たちも参加する祭りなど催しています。
 踊りの好きなアレックスさんもトークの会のメンバーからのお願いにこたえて、伴奏なしでしたが、回転の多いメキシコの踊りを披露してくれました。メキシコと日本の関係の歴史では、支倉常長の遣欧使節が最初に目指したのがメキシコであり、不平等条約から脱しようとした明治政府と最初に平等条約を結んだのはメキシコです。その後移民、自動車産業をはじめとする経済などの結びつきは強いのですが、多くの日本人には遠くなじみの薄い国といえましょう。
 アレックスさんの話しぶりを聞いていると、純朴、誠実なかつての日本の農村の若者のような気がしました。日本での留学経験を活かし、ブラジルと日本の架け橋になりたいというアレックスさんの夢が大きく成長することを期待します。
(寄稿者:檜山 彰)
2011.12.17 第 110 回トークの会報告
【講 師】 パブロノヴァ・ムニサ(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程5年)
【日 時】 平成 23 年 10 月 17 日(月)
【テーマ】 言語とアイデンティティー
《講師略歴》
 ムニサさんは3年前まで、このトークの会の幹事として本会の基礎作りに貢献してくれた方で、本日の講師の役も、喜んでお引き受けいただきました。
 ムニサさんの略歴は、2003年にウズベキスタンのサマルカンド国立外国語大学を卒業後、予ての念願であった日本の大学に留学のため来日。国士舘大学21世紀アジア学部を経て、2005年から東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。現在博士課程の5年生として在学中。
 この間、在学中に日本の若者と恋愛結婚をして、3年前にご主人のベルギーへの転勤に伴いブリュッセルへ引越し、同地シンクタンクの客員研究員として活躍。2011年5月ご主人の帰国で再度日本に戻り、東京大学大学院で中央アジアの言語と民族問題について研究中。
 また、ブリュッセル在住中に第一子にも恵まれ、現在は学業に加え、主婦業、子育て業の一人三役をこなしているスーパーレディーです。

《説明の骨子》
1.「テーマ選定の背景」
 講師の出身地であるウズベキスタンを含む中央アジア諸国が頭を痛めている民族問題は長年の研究テーマの一つであり、たまたま直近の3年間生活したベルギーのブリュッセルでも同じような問題を体験したことから、この機会に是非この問題の研究内容を発表したいと思い選定したとのこと。
 特に、日常の使用言語がどのように自己のアイデンティティー形成・確認につながり、民族問題と関係しているかという切り口からの説明が行われた。
 日本でも朝鮮人問題、同和問題が問題となることはあるが、中央アジアやヨーロッパのように国家間の紛争につながるような大きな問題にはなっていない。言語という問題をとってみても、各地の方言はあっても統一された標準語があり、使用言語によって人種問題、差別問題が意識されることはないといえる。
 従って、日本人にとって、この問題は実感として理解しずらいと思われるが、是非この機会に中央アジアにおける民族問題、なかんずく言語を切り口としたアイデンティティーの問題につき理解してほしいとのことであった。

2.「言語の象徴機能について」

○ 言語にはコミュニケーション機能のほかに象徴機能がある。
 コミュニケーショ機能とはいうまでもなく情報の伝達や他者への意思表示の手段となる機能である。一方、象徴機能とは使用する言語を通して自己のアイデンティティーを形成・確認する機能である。
○ 具体的に言うと、中央アジアでは、民族により或いはその時々の自分の置かれた立場によりロシア語、ウズベク語、タジク語、キルギス語、カザフ語などの言語を意識的に使い分けており、それによって、自己のアイデンティティーの形成、確認を行っている。
○ また、同じ民族でも中央アジアがソ連邦に属していた時代に教育を受けた世代(親の世代)とソ連邦崩壊後に教育を受けた世代(若い世代)とでは明らかに使用言語が異なってきているということもある。
 すなわち、ソ連邦崩壊後に教育を受けた若い世代は、まず自分の属する国家語の教育を優先的に考え、その上で、それぞれの個人が自己のおかれた立場で意識的に言語(自己の属する民族語の場合もあれば国家語の場合もある)を使い分け、アイデンティティーの形成・確認を行うようになってきた。

3.「言語と民族問題」
○ 中央アジアのように一国内で複数の言語が使用されている場合、自分がどの言語で教育を受け、また、日常どの言語を使用するかによって、自ずとその人のアイデンティティーが形成・確認され社会的な属性も決定されてくる。
○ 例えば、キルギス第二の都市オシュは多民族都市の典型であり、人口構成はキルギス人65%、ウズベク人30%ロシア人他が5%とキルギス人が過半を占めているが、使用される言語は第二民族の言語であるウズベク語が多い。オシュ市内ではそのほうが生活しやすく、商売もうまく行くからである。ただ、キルギス人はこのことを必ずしも快く思っておらず、表面には出ないが、ウズベク人とキルギス人の目に見えない精神的対立となっていると思われている。
 昨年のオシュ事件は、政治・経済上の問題に加え、このような背景が原因で起きたものであるともいえる。
○ 中央アジアがソ連邦に属していた時代は、中央アジアの民族はソ連の権力者によって支配されていたため、ある意味では被支配者としての連帯意識があった。しかし、ソ連が崩壊し、連帯して対抗していかなければならないという状況がなくなると、逆にお互いがライバルになってしまい、民族問題が表面化したともいえる。
○ 最近、ベルギーの首都ブリュッセルに三年間住んでみて分かったことであるが、ベルギーのフラマン地方(オランダ語圏)は経済的に裕福であるが言語的なコンプレックスを内に秘めており、他方ワロン地方〔フランス語圏〕の人達は経済的には貧しいがフランス語を使用することでプライドを保っている。
 そして、フラマン地方の住民は、自分たちが額に汗して稼いだお金で高い税金を払い、プライドばかり強くて働かないワロン地方の住民の生活を支えているという被害者意識が強く、感情的にも大きな不満を抱いている。
 ベルギーは東ヨーロッパ系の人々も多く、多様な人口構成になっているが、使用言語に象徴的に現れる民族問題が、政治・経済と複雑かつ微妙に絡み合い政治上の難しい問題となっており一触即発の状況にあるともいえる。
○ ベルギーもオシュと同じ民族問題を抱えており、言語使用の問題がこれを助長しているとの思いを強くした。ただ、民主化の進んでいるベルギーではオシュ事件のように命を奪い合うような紛争にはなっていないというところに差異を感じている。

《質疑応答》
 講師による以上の説明を基に、中央アジアにおける今後のあるべき政治体制や民族問題、言語問題をどう考えて行くかにつき活発な質疑応答が行われた。

* ソ連邦崩壊後に独立した中央アジア諸国が、未だ政治的に安定していない状況をどう捉えるべきか。
* 中央アジア諸国は政治的に不安定な国(アフガニスタン、パキスタン)あるいは強国〔ロシア、中国〕と隣接しており、常に脅威を感ずる立場にあるが、これらの国とどう対応すべきか。
* 中央アジア諸国は多くが独裁的政権であるが、アラブ諸国が民主化の流れの中にある状況をどう捉えてゆくべきか。民主化をアラブ諸国のように急ぐことが良いのか。未成熟な民主国家にとって政治体制はどうあるべきか。
* 民族問題は長い歴史があるので直ちには解決しないが、民主化推進の流れの中で上手く対応する手がかりはないか。民族間でお互いの立場をもっと尊重するという東洋的な考え方を取り入れられないのか。
* 民族問題や国家紛争の底辺に言語問題があることもわかったが、時間をかけて民主的教育を浸透させることで解決できないものか。
* 宗教の問題も含め、時間をかけ適切な教育を通じて解決してゆくのが良いのではないか。
* 中央アジア諸国から日本、アメリカ、ヨーロッパに留学している多くの優秀な若者や自国で活躍している若い世代の力で民主化を推進したらよいのではないか。

 講師のムニサさんの流暢な日本語での説明と的確かつ柔軟な質問者への回答により、中身の濃い充実した会となった。会が終わったあと、例によって近くのレストランで、講師を囲み和気藹々の反省会が行われた。
(寄稿者:内田 晃彦)
2011.12.17 第 109 回トークの会報告
【講 師】 フサノフ・ラフシャンベック(神奈川県国際研修センター 日本語教師)
【日 時】 平成 23 年 9 月 26 日(月)
【テーマ】 「ウズベキスタンの若者たちの日本語、日本への関心」─ウズベキスタンおよび日本での日本語教育の経験から
 ラフッシャンベックさんは、ウズベキスタンでタシケント東洋学大学卒業後、付属高校の日本語教師、ウズベキスタン・日本人材開発センター日本語講座コーディネーターを務めた後、2010年3月より神奈川県国際研修センターで日本語教師をしています。つまり、ウズベキスタン、日本の両国で日本語教育に携わるという貴重な体験があります。
 現在、ウズベキスタンでの日本語学習の拠点は国の中心で大学も多いタシケント、観光地として有名なサマルカンドとブハラ、紀子(NORIKO)学級で有名なフェルガナのリシュタンがあります。これらの都市は、それぞれ異なる特色を持っています。タシケントは日本語学習の総合的な中心地であり、一方、サマルカンドやブハラは、豊富な観光資源があるため、観光ガイドを養成するための日本語教育に力を入れています。紀子学級は、故大崎重勝氏の熱意で生まれた日本語教育施設でユニークな日本語教育を現地の子供たちに提供しています。
 ウズベキスタンの日本語教育で問題になるのは、日本語教員不足です。いくつかの大学では日本語授業が閉講されました。ウズベキスタンで、自力で教員を供給できるのは、タシケント国立東洋学大学とサマルカンド外語大学だけだというのが実情です。このような困難にもかかわらず、ウズベキスタンでは幅広い年齢層の日本語学習者がおり、日本語弁論大会、日本語能力試験の参加、他の日本語イベントも盛んです。
 現在、ラフシャンベックさんは神奈川県国際研修センターで日本語教育に携わっています。この機関では、日本語ゼロのレベルから一カ月日本語を研修します。世界中から看護師、日本語教師、食品検査士など様々な職業の方が研修しています。研修者の出身地によっては、共通のコミュニケーション言語がなく、大変苦労したとのことです。
 また、今回のトーク会では、ウズベキスタンからの留学生と元留学生の2人と日本の大学生が数多く参加し、大変盛会となりました。

2011.07.09 第 108 回トークの会報告
【講 師】 クリコフ・マクシム(東京芸術大学音楽研究センターで教育研究助手)
【日 時】 平成 23 年 6 月 20 日(月)
【テーマ】 来日して7年、伝統文化の研究者が見た日本そしてロシア
《講師略歴》
1998年サンクト・ペテルブルグ国立文化芸術大学芸術学部ロシア民族楽器科に入学、ロシア民族楽器のオーケストラの指揮およびバラライカを専攻。2004年より文部省奨学金留学生として来日、東京芸術大学で研究生として日本の伝統音楽を学ぶ。2005年、在日留学生音楽コンクールにてバラライカで優秀賞受賞。2008年、東京芸術大学音楽学専攻修士号取得。2009年第七回留学生文学賞奨励賞受賞。2011年、東京芸術大学音楽文化学専攻博士号取得。現在、東京芸術大学音楽研究センターで教育研究助手。

 目の前を歩く外国人が、端が三角形の包みを抱えながら私の目指すビルに入ろうとしていた。ひょっとしてバラライカではないかと思い、エレベータの中で声をかけてみた。やはりそうだった。本日の講師マクシムさんだった。交わした言葉からほのぼのとした人柄が伝わってきた。この第一印象は講演中も、講演後も変わらなかった。一言で言えば日本人の雰囲気が漂う外国人である。もっといえば、立ち居振る舞いが日本人と変わらない外国人、それがマキシムさんである。
 冒頭にバラライカの演奏があった。右手が激しく上下に振られ、そのたびに心地よい音色がかき鳴らされる。水玉がはじけるような音色だった。最初は何となくフラメンコギターの奏法と似ているかなと思った。その後何度か聞いているうちに今度はいつかこの会で聞いた中央アジア出身女性の演奏と類似していることに気が付いた。その人はアクロバティックな演奏が持ち味だったが、マクシムさんも劣らず巧みな技を披露した。数弦を同時にかき鳴らしながら、そのうちの一本が主にメロディーラインを奏でているようだ。文化は国境を越えて伝播していく。日本の伝統楽器も大陸から渡ってきてこの国に根付いた。バラライカもそうした地球大の影響を受けながらロシアの大地で熟成されてきたのではと感じた。
 今のバラライカは3弦であるが昔は2弦だったそうだ。19世紀に改良され、3弦化したことでより高度な演奏が可能になった。マキシムさんによるとこの改良によって“民族楽器”から完全な“芸術楽器”になった。日本に来てからバラライカをロシアの“民族楽器”といわれ、衝撃を受けたという。
 マキシムさんはロシアの音楽大学にいたときに尺八を聞き、竹に5つの穴を穿っただけという単純な構造にもかかわらず「こんな音が出るのか」とその多彩な表現に驚いたという。この驚きが日本の伝統音楽を専攻しようと決意する端緒になった。お話を聞いているとこうした体験や来日後の衝撃がその後の音楽研究の方向を決めていったようである。このほか、ロシア時代からバイオリンの鈴木メソッドにも興味があり、来日後は関係する資料を相当量収集したようだが、現在は尺八など邦楽を中心に活動している。
 マキシムさんは来日後、尺八琴古流の師匠に弟子入りしている。持参の尺八による演奏は、能舞台の舞が見えるような音色で、バラライカの世界も和の世界も共にこなせるマクシムさんの豊かな才能に魅入られた一時であった。
 琴古流は江戸時代に創始され、以来300年経つ間に変化してきている。琴古流という特別の世界に浸るうちに,伝統音楽は何のためにあるのか、グローバル化といわれる中にあっても必要とされるのか、これからどうなるのか、そもそも伝統音楽や伝承という言葉の定義は何か、また、「伝承」とはだれが、だれに、どこで、何を、何のために伝えるのか、こうした問題意識が芽生えたという。こうして自然に研究すべきテーマが固まっていった。
 琴古流という“共同体”のグループの中にいて、師匠の伝承の仕方を観察しているうちに、伝統という言葉の中に、色々な要素や構造が含まれていることに気が付いたとのこと。ある要素をみると他と共通する点もあるし、異なるところもある。彼の研究は全体を要素に分解するという手法を取るところに特徴があるようだ。
 マキシムさんは7年間日本に滞在し、修士論文と博士論文を執筆した。この二つの論文が奨学金を支給してくれた日本に対する“貢献”であり、いずれ機会が有れば出版したいという。
 講演の全体を通して「日露両国はお互いの文化についてもっとよく知り合うことが大切であり、その架け橋になりたい」との思いが伝わってきた。こうした姿勢がマキシムさんの日本での7年間に及ぶ学究生活を支えたといえる。
 講演の最初に彼はこういった。「自分は何%ロシア人で、何%日本人か分からない。」そして講演の終わりには、「留学前には100%ロシア人だったが、今は65%位になっている。」と。
(寄稿者:山藤 康夫)
2011.07.02 第 107 回トークの会報告
【講 師】 ホウ・チン(桜美林大学大学院 国際協力博士課程1年)
【日 時】 平成 23 年 5 月 24 日(火)
【テーマ】 私と東日本大震災について
 ホウさんは母国、韓国の大学で教育学を学んだ後、桜美林大学大学院の国際協力分野の修士課程で学びながら、バングラディシュのローカルNGOの思春期女子開発プログラムに関わり、現地でインターシップ及び現地調査を行いました。現在は同大学院の博士課程に在籍しています。
§彼女は、大震災のために延期になった3月のトークの会の講師を予定していました。そのため、今回はテーマを変更し、大震災とその後の経験についてのお話しが中心になりました。まず、その概要から。
―仙台近辺でのボランティア活動―

・3月11日、東京で震災に遭遇し、一時韓国に帰国しました。再入国の後に仙台ボランティアセンターに登録し、現地では仙台市若林区荒浜で活動しました。宿泊地からの13kmは自転車で移動。主な活動は、被災した家の台所等の片づけ、屋外への泥出し、そして被災者の話し相手になることでした。
・ボランティアについて、日頃西洋人から「当たり前のことを普通にすればよい」と言われていました。その言葉のように、欧米ではボランティア活動は当たり前かもしれません。しかし、韓国では、組織的にボランティア活動をするキリスト教会以外は、他人を助けてあげるという気持ちが少ないように思います。今回の経験をふまえて韓国の仲間にもボランティアを教え、助けを必要とする人達の力になりたいと思う様になりました。
―被災した人々と関わって感じた事など―
・日本人はシャイだと思っていたが、積極的に意見を言う人が多く、認識を新たにしました。
・被災した人々と普段と同じように話すことが出来、隔たりを感じませんでした(冗談だと思うが、嫁に来ないかと言われびっくりしました)。
・インドネシア人のボランティアはあまりの災害の酷さに暴動が起きるのではと、とても心配していました。

§今回のトークの会には、財団法人アジア学生文化協会専務理事及びウズベキスタンから筑波大への女子留学生の方々も出席されていました。皆さんの話をまとめます。
・殆どの国では、日本国中が震災に遭遇している様な大げさな報道が多く、留学生の家族は直ちに帰国する様に連絡してきました。チケットを買えない人もいましたが、数の多い中国からの留学生は以前と違い裕福で、航空料金が倍になっても直ぐにチケットを買い、3月中に80%の留学生が帰国しました。その後4月に20%、5月連休明けには60〜70%の留学生が再入国しました。多くの留学生が宿泊施設などに諸費用を支払い済みである事、日本で卒業しないと就職に差し障りがあること、日本に残っていた留学生が正しい情報を自国に伝えた事などが再入国者が増加した理由だと思われます。
・ウズベキスタンでは、ソビエト時代のチェリノブイリの経験と今回の地震の規模の大きさから、留学生には、やはり家族から直ちに帰国する様に連絡がありました。また、日本への再入国の意思を示すと、「放射能で、水や空気が汚染されているのに怖くないのか」と両親や周りの皆に反対されながら、「今はよくなってきているので、日本で勉強を続けたい」と説得し日本に戻ってきたとの事です。

§最後に、ホウさんの講演の本来のテーマであった、バングラディシュの少女達への教育への関わりについて、お話がありました。
・バングラディシュはイスラムの貧しい国であり、国民の人柄はインド・パキスタンよりも穏やかです。何事もアッラーの思し召しと考え、困難や不満を打開しようとする力が弱い。また、インドのカーストを避けて逃げて来た下層階級も多く、男尊女卑の傾向が強く見られます。教育を受けないまま、12〜13歳で結婚させられる女性が多く、持参金が少ないと夫や夫の家族から虐待とも言える仕打ちを受けるケースもしばしばです。
・韓国と日本の大学で学んだ事、更にボランティアの経験を生かして、バングラディシュの文化を尊重し、現場と研究成果を繋ぐ架け橋となれるよう努力してゆきたいと思います。

§今回のトークの会は「大震災」がテーマだったため、重苦しさが感じられるスタートでした。ホウさんの貴重な体験談は、被災地の惨状と同時に人々の強さも伝えてくれました。また、留学生の皆さんの報告を聞き、各国の受け止め方が想像以上に厳しいことを知りました。その反面、留学生の方々の日本に対する思い、日本で学びたいという熱意も感じました。そして、正しい情報が正確に報道されることの重要性を改めて痛感した思いです。
 日本カンバレ! 留学生の皆さんガンバレ!
 最後になりましたが、ホウさんのバングラディシュでの今後のご活躍を心からお祈りいたします。
(寄稿者:大久保 久男)
2011.02.14 第 106 回トークの会報告
【講 師】 ヤロスラヴ・シェラトフ(スラヴァ)
【日 時】 平成 23 年 2 月 14 日(月)
【テーマ】 ロシアの極東地域について
 今回のトークの会では、ロシアからの研究者ヤロスラブ・シュラトフ(Yaroslav Shulatov、略称スラヴァ)さんをお招きして「ロシアの極東地域について」というテーマでお話をうかがった。1年も前からの企画が漸く実現しただけに参加者も30名を越える大人数となった。
 スラヴァさんは1980年ロシア極東のハヴァロフスク生まれ、ハヴァロフスク国立教育大学の東洋学部日本語学科卒業後、2003年から慶応大学留学、2010年から東京大学特別研究員として、日露・日ソ関係(外交史、軍事、経済などの側面)とロシア・ソ連の極東・対日政策を研究され、またこの間歴史学博士号及び法学博士号取得されたているとのことであった。祖父の代からの教育者の家庭に生まれ、歴史の本に囲まれて育ったとのことで、まさに少壮・生粋の歴史学者と見受けられた。

 一般の日本人には、ロシアまたその極東地方は、地理的には近いはずなのに、気分としては、随分と遠い国のような気がしているのではなかろうか。近時はBRIC'sの一角と称されながら、帝政ロシア、共産革命、日露戦争、シベリア出兵、ソ連侵攻、領土問題とあまり明るい印象はもたれていないというのが正直なところなのではないか。今日の会は、ロシアからの研究者の方から、直接話を聞ける絶好の機会ということで、大きな期待を持って参加した。

 スラヴァさんは、流暢な日本語を操り、温和且つ冷静な話しぶりで、冒頭のプレゼンテーションは勿論、Q&Aを含めて、温かみのある説得力に富んだ多くの話をうかがうことができた。話は、まず、ロシア連邦全体の概要から始まり、その所謂極東地方と呼ばれる地域の説明、そして故郷のハヴァロフスクの概要と順次フォーカスされて行った。多くの地図と写真のスライドが映し出されて、ロシア人の現況を容易に把握することが出来た。

 ロシアの基本情報項目だけ挙げておくと、
(1) 国土面積は17百万平方kmで全世界の1/8を占める(世界第1位)
(2) 人口は142百万人(世界第8位)
(3) 気候は冬は厳しい(−72度℃を記録)が、夏は日本と変わらないほど暑い
(4) 約180の民族からなる(ロシア人:80%、タタール人:4%、ウクライナ人2%)
(5) 宗教はロシア正教が最大であるが、イスラム教徒が20百万人いる。チベット系仏教徒も居住
(6) GDPは世界第6位。一人当たりGDPは15,800ドル程度
(7) 日本と同じく少子高齢化が進んでいる。平均年齢37.6歳。平均寿命68歳
(8) 90年代は社会体制が崩壊して極めて厳しい状況に陥ったが、国力は回復に向かっている
(9) 鉱物資源は豊富
といったところである。

 極東地域・ハヴァロフスクの話の詳細は割愛するが、石油、木材加工、漁業、軍事産業が基幹的な産業であり、アムール河(全長4,440km)をはじめ、豊富な自然に恵まれている。ちなみにハヴァロフスク市の紋章には月の輪熊とアムール虎が描かれている。なお、ハヴァロフスク市は新潟市と青森市が姉妹都市協定を締結している。
 講演の後半部分では、伝統的な建造物、シベリア鉄道、天然ガスプラント、シベリアの森林風景、アイスホッケー試合風景等多くのスライドが映し出され、ロシアを実感することが出来た。

 Q&Aの時間では、日露戦争敗戦はロシア国内ではどう伝えられどう評価されているのか、また8月8日のソ連の侵攻について、ロシアではどう捉えられているのか、ロシア復興の原因はなにかなどが尋ねられた。参加者の念頭には「領土問題」があるのは当然のことであるが、トークの会はさすが大人の集まりであり、エチケットをわきまえた、しかし核心に近い質問が続いた。
 スラヴァさんは、テレビ番組「坂の上の雲」の一部の写真の編集を担当したことを紹介しながら、歴史家と歴史作家とは全然違うこと、歴史はきちんと事実を検証・研究しなければならないとの思いを語っていた。スラヴァさんからは、日露戦争はロシア国内では、「敗北」として伝えられており隠されることはなかったこと、1945年にプラウダ紙が第2次大戦の末期に「父祖たちが受けた恥」を修復できたと報じたことなどが説明された。ソ連の侵攻については、ソ連はファッシスト・ドイツと戦っており、その同盟国の軍国主義国家(大)日本(帝国)を破らねばならないと当然考えていたこと、ソ連の侵攻は日本の関東軍中堅・一部の政治家は事前にありうることは認識していたこと、ソ連は8月15日に戦争が終結したとは思っていないことなどが説明された。

 そして領土問題は3つの観点から冷静に検討されるべきであるとした。3つの観点とは
(1) 歴史的(もともとアイヌの土地であった)
(2) 法的(下田条約をはじめとする諸条約はあったが、戦争はいかなる条約も破棄する)
(3) 政治的(歴史的及び法的側面を考慮に入れながら、日露両国の今後の関係を考え、政治的な協議にて話を進める必要がある)観点
とのことであった。

 最後の質問は、「日本人の心情がよくわかったスラヴァさんにとってロシア人とはどういうものか?」という極めて難しいものであったが、スラヴァさんは、ロシアの過去のリーダー達(ニコライ2世、ゴルバチョフ、エルツイン等)の特色を語った後、ユーモラスたっぷりにこう締めくくった。
「欧米人はモモで、ロシア人はココナッツです」。
 殻は硬いが、一旦破って入り込めば素晴らしいお付き合いが出来るようである。

注1 日時:2011年2月14日(月)18:30〜20:00

(寄稿者:櫛田 正昭)

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