留学生とトークの会活動報告



●留学生トークの会のご案内

この会はNPO日本ウズベキスタン協会の留学生支援事業として、留学生と多くの会員および一般の方々とともに相互の文化交流を図り、理解を深め、人と人の和を広めることを趣旨としております。
内容としてはウズベキスタンの最新情報、経済、歴史、生活、あるいは留学生の日本での体験などさまざまなテーマを学生たちと相談し、また、参加者の希望に添って決めております。
アットホームな雰囲気の中で、いろいろな大学で学んでいる学生たちの豊富な知識、素朴な感性そしてパワフルに情熱的に語る姿勢に私たちも元気をもらい、また大きな感銘を受けることも度々です。
2005年留学生とトークの会活動報告(2013.08.09掲載内容一部削除)
2006.01.31 第54回留学生とトークの会
【日 時】 平成17年12月20日(火)

 今回は例年のように忘年会を兼ねた蕎麦打ち会です。打ち手は檜山名人(?)。
 参加者のうちブニョード君から、コメントが届きました。ブニョード君は日本大学国際関係学部を2003年に卒業して、現在は好きな映画の仕事に携わっています。

 2006年、あけましておめでとうございます!
 今年は戌年ですね。日本では犬はすっかりペットですが、ウズベキスタンでは犬と言えばまず頭に浮かぶのは番犬です。又、犬は誠実さの象徴となっている動物でもあります。

 12月20日留学生とトークの会の納会(忘年会)に出席させて頂きました。いつも仕事で都合がつかなかったため、トークの会に一度も参加することはできなかったですが、この日初めてトークの会のメンバーにお会いすることができました。参加者は日本人の方20数名と留学生と留学生OB6名です。
 トークの会の会長檜山さんのそば打ちの噂を以前から聞いていました。この日残念ながら私が会場に着いた頃にはそば打ちはもう終わっていて見られなかったですが、そばをご馳走になりました。ウズベキスタンの食文化にはうどんはありますが、そばはないです。もちろんそばを初めて食べたのも来日してからです。この日のそばはこしがきいていて、実に美味しかったです。ありがとうございました。
 日本ウズベキスタンのホームページでトークの会の活動をいつも読ませて頂いておりますが、私が感心したのは、トークの会の講師を務めるのがいつもウズベク人留学生だけではなくて、ウズベキスタン周辺国の留学生、又、他のアジアの国々の留学生も参加していることです。ウズベキスタンもそうですが、まだまだアジアには日本人に良く知られていない国はたくさんあります。日本ウズベキスタン協会が母体となって、様々の国の留学生と日本人が交流を取り、その国々の文化、歴史などが民間レベルで日本に伝わることが非常に意味のある活動だと思います。
 この日もウズベク人4人以外に、ウズベキスタンの隣国キルギスの留学生とロシア連邦 サハ共和国の留学生も参加しており、もうここだけで4つの国の国際交流が行われていました。又、我々ウズベク人も勉強、仕事などで忙しくてウズベク人同士で集まることは難しいですが、協会の行事がきっかけでお互いに会うことができます。その意味で日本ウズベキスタン協会は我々の交流の場でもあります。
 日本人会員の皆さん、いつも感謝しております!又、会う日まで!
 
寄稿者:ウマロフ ブニョード (ウズベキスタン留学生OB)

2006.01.05 第53回留学生とトークの会
【講 師】 フヴァン・ターニャ
【日 時】 平成17年11月21日(月)
【テーマ】 少数民族としての朝鮮系ウズベキスタン人

 11月21日の「留学生とトークの会」では国際交流基金のプログラムで来日中の日本語教師フヴァン・ターニャさんに多忙の中、来て頂いた。彼女はソ連時代に朝鮮からウズベキスタンに移住させられた朝鮮の人たちの子孫です。ウズベキスタン2千5百万人のうち20万人が朝鮮系。しかし、彼女はかなり恵まれた環境で育ったのか気品があり、小さい時はバレリーナ志望であった由。スタイル・プロポーションともさもありなんと思わせる魅力溢れる方でした。ロシア語は得意であるが、ウズベキスタン語は必ずしも得意ではないとのお話に驚きましたが、朝鮮系の皆さんが伝統と慣習と守り、朝鮮から遥か遠いかの地で力強く生きているお話は、大変な感動的でした。

 POIといって同じ「金」という苗字でも、それぞれ系統があり、同じ系統の人たちはお互い結婚が絶対できないそうです。また、1歳の誕生日、結婚式、60歳の誕生日この3つの節目に朝鮮系の人たちは大きなお祝いをします。ウズベキスタンではイスラム教が主流ですが、朝鮮系の人たちはキリスト教(プロテスタント)。朝鮮系の人たちに目の細い人たちと言ってからかうロシア系の人たちがいるようですが、そのようなことを、冗談で言えるほどに朝鮮系の人たちは割り切りウズベキスタンにすっかり根を下ろしているように思いました。ウズベキスタンに同化しているようで同化せず、また、同化していないようで同化しているのでしょう。民族の逞しさを垣間見る思いです。
 彼女はこの9月に来日、来年3月には本国に帰国されるようですが、ウズベキスタンで大いに日本語の普及に努め、日本とウズベキスタン、更には中央アジア諸国との一層の友好と親善に貢献していただきたいと念じております。
 彼女からみた近隣の民族について、お金持ちが多いのがアルメニア人、肌の色が白くて、自己主張が強いのはタタール人、特に女性が自己主張が強いのでしょうか。いつも威張っているのがロシア人、酒飲みが多いのもロシア人。ウズベキスタンは民族の坩堝と聞きますが、お互い言いたいことを言って、うまくやっているのでしょう。
 「留学生とトークの会」はいろんな方が来られ、自由に発言し、自由に質問する大変楽しく、居ながらにして、外国の、特に我々にとって新しい文化に接する大変有意義な会です。奮って参加しましょう。
 
寄稿者:井関 英恒

2005.11.17 第52回留学生とトークの会
【講 師】 ジャマンクロヴァ・ウルジャン
(キルギス出身、早稲田大学日本教育研究科在学中)
【日 時】 平成17年10月26日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 美しい自然に包まれた多民族国家 キルギス

 今回もいつものように浜松町の会議室で、10月26日午後6時過ぎから開催された。参加者は嶌会長をはじめ21名。
 今回の講師のウルジャンさんは、キルギスタンの首都、ビシュケクの民族大学から早稲田大学に留学、日本教育研究科で学ぶ女子学生である。また彼女の友人で上智大学に留学しているジーナさんが彼女をサポートしてくれた。

 二人が持参してくれた、キルギスタンの地図、写真、国旗などの前で、キルギスタンの自然、社会構成、歴史、現在の情勢などが、聞き手の理解を分かりやすくするために、クイズをまじえて話された。
 例えば、「中央アジア各国の中で、キルギスタンの大きさは何番目か」「キルギスタンにはいくつの民族が住んでいるか」など。ちなみに、この問題の回答は、前者が「カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンに次いで、第4位」、2問目は、「80の民族が住んでいる」が正解。
自然環境では、天山山脈の山間に抱かれ、「幻の湖」と言われていたイシク・クル湖の美しさが強調され、キルギスタンの水量の豊富さが語られ、これに関して、嶌会長から、キルギスタンでの「水ビジネス」の提案もされた。
 また、当然、民主化運動によるアカエフ大統領のロシア亡命も話題となった。
混乱を過ぎた今、国民の中にはアカエフ前大統領の政策にも良い面があったと言う声もあるようだ。

 さらにアシスタントをつとめてくれたジーナさんの出身地、サハについて、ジーナさんの話もあった。サハは、ロシア連邦に属するシベリアの共和国で、ヤク−チアともいう。人口は約100万人、首都はヤク−ツク。19世紀半ばに金鉱が発見され、現在はダイヤモンド産地としても世界有数で、天然ガス、石炭などの資源も多いとのことだった。
 ともあれ、米軍駐留をめぐっての米国・ロシア・中国の綱引き、上海協力機構のメンバーとしての動きなどが注目されるキルギスタンに対しての基礎知識を知ることができた、意義ある会だった。
そして、「日本ウズベキスタン協会」のトークの会ではあるが、ウズベキスタンのことだけではなく、こうした周辺諸国の事情、また広くアジアの事情を知ることはとても有意義なことだとあらためて考えさせられた今回のトークの会だった。
 
寄稿者:水野 慶三郎

2005.11.17 第51回留学生とトークの会
【講 師】 ミョー・ウー
(ミャンマー出身、一橋大学言語社会研究課 博士課程在学中)
【日 時】 平成17年9月20日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 日本への憧れ、興味、親しみが強いミャンマー

 9月20日のトークの会はミャンマーのミョー・ウーさんに来てもらいました。

 ミャンマー連邦は、かつての戦争の時、日本の軍隊の犠牲者も数多く、日本人には悲しい思いでの国ですが、最近の軍事政権下の状態は、案外知らない方も多いのではないでしょうか。
ミョー・ウーさんは出身地は南のデルタ地域、ご両親も先生、2000年に来日、今年で5年目、文部科学省の奨学金を得ており、奥さんとお子さんと東京で三人暮らしのたくましい若者でした。
 日本に来たきっかけは戦争中、日本人の兵隊がビルマをどう見ているのか兵隊の日記が見たかった。東京、恵比寿の防衛研究図書館、等を訪問して調べたが未だ目的は果たしていないそうです。
 ミャンマーには2007年3月に帰国予定、帰国後は社会学などの教育にあたりたい。
 ミャンマーの教育制度は上座部仏教の文化を基本とするもので、体制の問題もあり我々の世界とはやや違うようです。
彼から聞く日本への考え方は、我々を嬉しくさせてくれるものでした。
「岡倉天心のアジア観を尊敬しています。日本はミャンマーをはじめ、世界の国々特にアジアともっと関係をもってほしい。」
「『ビルマの竪琴』はとてもいい映画で、感動した。皆さんも是非見て下さい。日本とミャンマーの関係について理解を与えてくれる一つの映画だと思います。」
「ミャンマーの国民は日本人を頑張り屋さんだと思っており、日本国を先進国として憧れているのです。」
この会の後、慌てて「ビルマの竪琴」を読んだ会員もいたようです。

ミョーさん自身も大変まじめで日本の事をよく勉強していると感心しました。私たちもミャンマーの将来を担うこれらの留学生達に今後とも物心両面から援助して行きたいと思います。日本全国でミャンマーからの留学生が50人位在学中との事です。しっかり勉強して母国に帰り、将来は日本との友情の架け橋になって貰いたいと心から思いました。
 
寄稿者:浅海 茂

2005.08.10 第50回留学生とトークの会
【講 師】 ヘン・チョン・クオン
(マレーシア出身、東京大学修士 2 年)
【日 時】 平成17年7月19日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 マレーシアについて

今回の講師はマレーシアのペナン出身のクオンさん( 30 才)でした。彼は文部科学省の奨学生として 3 年前に来日し,現在は東京大学で都市環境工学を学んでいるそうです。

彼は,マレーシアの地図を貼りだしたり,資料をいくつも持参して丁寧にマレーシアについて説明してくれました。聴覚だけでなく視覚にも訴える説明は,とてもわかりやすく興味を引く内容でした。出席した皆さんの活発な質問があったことからも,皆さんの関心の高さがうかがえました。

マレーシアは国土の多くが熱帯林でおおわれ,日本とは違った美しい自然があることで有名です。特にボルネオ島には,日本でもおなじみのオランウータンがいるなどその雄大さはうらやましい限りです。そんな多様な生き物と美しい自然環境に囲まれている一方で,日本人にもなじみ深いマハティール元首相の政策では,工業化が進められて著しい経済発展を遂げています。手本にされている(?)日本経済に元気がないのは寂しい限りですが,これからの日本を担う世代の若者の一人として頑張らなくてはいけないと実感させられました。今までの日本型の発展手法だけでなく,アジア型のそれを見いだしてアジアの中の日本として発展していくことが重要だと思います。

文化面では,日本の中高年の方にはおなじみの凧や独楽などがマレーシア国内で伝統的に楽しまれているそうで,日本との近さを感じることが出来ました。他には,バドミントンやスカッシュなど,インドアスポーツが流行っているのは意外でした。僕の勝手なイメージでは,アウトドアスポーツの方が人気があるのかなと思っていました。日本では,同じインドアでもスポーツよりテレビゲームやパソコンが優勢なので,マレーシアの皆さんは健康的だと思います。

クオンさんは,マレーシアの水道・治水事情があまり良くない状況を踏まえ,マレーシアに張り巡らされている水道管のリニューアルを長期的に目指して現在の勉強を続けているそうです。大きな夢を持ち,そのための努力を惜しまない彼ら留学生の姿勢と笑顔はとても素晴らしく,是非とも見習いたいと思います。
 
寄稿者:堀口 毅

2005.08.10 第49回留学生とトークの会
【講 師】 エロック・ハリマー
(インドネシア出身、東京外国語大学修士 2 年)
【日 時】 平成17年6月21日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 インドネシアについて

紫陽花の似合う月、6 月 21 日トークの会は「インドネシアについて」をテーマに留学生エロック ハリマさんを講師に迎え、なごやかさのなかにも多くの驚きのひとときを過ごす事が出来ました。

希望した留学地はオランダだったのに、日本に決まった時はガッカリ。

でも、日本が大好きになった彼女は、有島武郎の「或る女」を研究中です。既に司法事務所に就職も決まり国際弁護士を目指す彼女は明るい笑顔を絶やさない魅力的な女性でした。

インドネシアの人口は世界 4 位、そしてその 87 % がイスラム教を信じているそうです。日本各地の動物園にいるオランウータンは実はオラン、ウタン(森の人)という事でインドネシア語です。またキラキラ(アバウト) たとえばキラキラ 3 時に会いましょう、といっても 4 時も時間内であるとか…。

ご多分にもれずインドネシアも貧富の差が激しく教育費が高いため大学にいける人が非常に少ない。海外で高い教育を受けた人は、国に戻らない。運転免許は警察で買える! インドネシア人は苗字を持っていない。したがってファミリーネームはない。高校生の頃は「一休さん」「東京ラブストーリー」を見た等々、興味深い 2 時間でした。

しかしこの会に出てくるほとんどの留学生が言う事ですが、ハリマさんも家族と話すのはとても楽しい、家族関係は日本より暖かい、といっています。少々耳が痛いですね。
 
寄稿者:島澤 季美枝

2005.08.10 第48回留学生とトークの会
【日 時】 平成17年5月24日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 ウイグルについて

※ 記録省略
 


2005.07.21 第47回留学生とトークの会
【講 師】 レイラ・ギアイー(イラン出身 東京大学研修生)
【日 時】 平成17年4月19日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 イラン教育事情、社会事情、日本の第一印象ついて

【概 要】
トークの会も回を重ねたので、今年からウズベキスタンに限らず、主にアジアの留学生にも話を聞く機会を作ろう、ということで、今回の講師はイランのレイラ・ギアイーさん(テヘラン大学日本語科卒、東京大学研修生、日本語の後置詞の研究中)。

本人は 4 月 8 日に来日したばかりであり、急遽本会への招聘でもあったが、流暢な日本語で自己紹介の後、質疑方式で進行しました。初めてのイランからの留学生であり活発な質疑・意見交換となりました。

【内 容】
1:イラン教育事情
学制は 5・3・4(小・中・高)制で、全て男女別学校。先生は権威があり、尊敬されている。大学進学率:40%程度。女子が6割を占める。

2:社会事情
イスラム革命(1979 年)から 4半世紀経過しシーア派主導の宗教指導者支配が確立。若干緩和されたが、厳しい戒律支配も残っている。大家族で家族の絆が強い。また家族を大切にする風土。女子の結婚年齢は平均25歳。

平均寿命は女性 56歳、男性 53歳。住宅はミニマム100平方メートルと比較的にゆったりしている。

3:レイラさんの日本の第一印象
  1. 自由
  2. 真面目⇒電車の中で本を読んでいる人が多い
  3. 時間厳守
  4. 服装⇒着物ばかりと思っていた

【感 想】
多くの日本人特にビジネスマンにとって、1979年以前のイランの方がずっと身近に感じていたし、この25年間この国は良く分からない国になってしまっていたのが実情だと思う。

三井物産の石油化学プロジェクトやブリジストンのタイヤ工場案件などに関与していた頃、私は石油大国としてイランは輝いていた様に思っていた。しかしホメイニ革命は成功し、シャーによる圧政国家は余りにも脆く崩れ去った。その後のイランについてはイスラム原理主義の元締めのような「良く分からない国」として観て来たのが実情だ。

しかし今日レイラさんの話を聞く機会を得て、この国をまた身近なものとすることが出来たように感じ、少し嬉しくなった。イランが内政の安定を得て素晴らしい中東の盟主の一角に戻って欲しいと思う。

また、当日は嶌会長も出席。コメンテーターの解説付きの会となって、話はイランからウズベキスタンの宗教観や日本の国際感覚にまで及んだ。幹事のムニサさんから「何故日本人は戦後60年にわたる平和主義の徹底を主張しないのか?」と突き上げられたりして、トークの会のおじさんおばさんは思わず唸ってしまったのも印象深い場面であった。
 
寄稿者:吉冨 啓祐

2005.04.12 第46回留学生とトークの会
【講 師】 マラット(早稲田大学博士課程)
【日 時】 平成17年3月15日(火)18:00〜20:00
【テーマ】 「ウズベキスタン思想と平和の思想−ホジャ・ナスルジン( Hodja Nasreddin )[ウズベク伝説の人物]とソフィズム( Sophism )について」

【講師の紹介】
マラット( 28 歳)=タシケント出身。2001 年 9 月、JICA 奨学資金にて来日。その後 PC 通信、研究助手として自費研究しつつ、現在は早稲田大学博士課程在学中。

【内 容】
まず始めにウズベキスタンの民芸品的焼物で布袋様のようなお腹の出た、着流しスタイル、帽子をかぶった、余裕のある笑顔で白い髭をはやした人形を机の前に置いて、いきなり本題に入って熱弁を振るい始めたのには皆さんビックリしました。

ウズベク人とは、本来イスラム教とは関係なく、民族的には牧畜、農耕民族で移動しない民である。8世紀、シルクロードの要衝地点にあって中央アジアのルネッサンス、科学の人、と呼ばれ、その歴史、文化において独特のものを持っていた。

ソフィズム、とはウズベクの根本的考え方として云えるもので、即ち生活に関しての生き方、文化、村社会の中で、主君に対して絶対服従的で且つ与えられた仕事に対しての責任感、等マラットさんに云わせると日本の武家社会的、武士道精神に通じるものがある、とのこと。

ホジャ・ナスルジンについては、10 世紀代ウズベキスタンの伝説的人物でアジア人的思考、所謂、教養があって弱者の味方、彼の教えとして、古くからの諺として、王様が死ぬか、驢馬が死ぬか,といったようなよく理解できないこと、解決困難なことは時間が解決する、時間の経過を待つ、苦しい時には笑うしかない、(ケンチャナヨ、ケセラセラ、Let it be. )という考え方、生き方がある。

日本人との違いとしては、設定目標に向かって進むこと自体は同じだが、(ウズベク人はソフィズムの考え方によって)時間的観念が根本的に違う。即ち、日本人の場合は時間厳守、ウズベク人は時間に縛られない。

今回のマラット君の話しは、今までのトークの会の話しにはなかった内容で出席者全員、大変に興味深く傾聴していました。
 
寄稿者:小泉 基靖

2005.03.14 第45回留学生とトークの会
【講 師】サフィーナ(早稲田大修士課程2年)
【日 時】平成17年2月22日(火)18:00〜20:00
【テーマ】ウズベキスタンの教育と科学

現在、早稲田大学国際情報通信技術学科の修士課程に在学中の講師サフィーナさんは、文部科学省のスカラシップにより 2 年前に来日、今年 9 月卒業にむけ、修士論文作成奮闘中で清楚な賢そうなタシュケント出身の女子留学生である。

彼女は将来日本での就職も視野に博士課程への進学も考えているお嬢さんで、お話をまとめるとウズベキスタンの教育制度はソ連連邦時代と現在を比較すると、教育の質の低下や市場経済システムへの転換に追随できず、教員の待遇面の劣化も手伝って満足な教育の成果が上がっているとは言えず、ソ連時代の方が良かったと言う人も多い。

これは教育に限らず、経済全般に渡って良く聞かれる話でもある。

ソ連時代には教育費の負担も軽く、教育内容も良かれ悪しかれ国家目標に沿った制度によって進められていたが、現在は教育費も一部の優秀な奨学生を除き自己負担で苦しく、教師の給料も一家を支える男子教員の立場では不充分な額のため希望者も少なく大部分は女性の教員に依存している。

現在 17 歳以下が 40 % を占めており 12 年間の義務教育期間を設けて国家近代化のための教育の充実が求められているが、さらなる経済発展を待たねば教育への充分な予算配分が果たされない悩みを抱えているのが現状である。

翻って日本にあっても教育制度の改革を巡る問題点が山積し、21世紀の多様化した国際社会に適応した新しい国家目標や、それを実現する為の人材育成のためのグランドデザイン作りに向けた教育基本法改定作業を急がれる事態を迎えている。

ウズベキスタンでも国家建設の歩みに呼応した確固たる教育方針を確立すれば、いま日本が抱かえている豊かさの中の家庭と教育現場の貧困と崩壊を食い止める作業よりも多くの年月を覚悟しても、貧困から抜け出し豊かな先進国を築くための目標の達成に向けた理想的な教育制度の実現は高い可能性を秘めている。

ウズベキスタンは近代文明の基礎をになう数学や天文学を始め、優秀な頭脳を持った偉人を輩出してきた歴史があり、東西文明の交差点であったシルクロードとチムール大国以来の輝かしい拠点に位置した中央アジア最高の誇るべき民族国家として、新たな先進国への道を開く日は遠くないとの感触を会員相互の質疑、討議の中で得たことを報告したい。
 
寄稿者:梶原 知勝

2005.02.21 「トークの会スキー合宿」の報告
【日  時】平成17年1月29日(土)〜 30日(日)
【ゲレンデ】富士パノラマスキー場
【宿  泊】浜の湯

〜 浜の湯。優しさと温もりのスキー合宿 〜

今年のスキー合宿は、私が初めて参加させて頂いたトークの会のスキー旅行でした。この前のテニス大会も初めてでしたが、連続でこんなに親切な私達の日本のパパとママたちと一緒に体験できる楽しい会ができて、本当に嬉しく感謝します。
 
日本でスキーは 3 回目でしたが、今までいつも初心者コースで滑ったので、今回スキーに行く前何回も友達に「ゴンドラ乗ろう!」の話を聞きました。少し心配し始めました。

特に、パーキングエーリア集合の時、毎年何回もスキーに行くヴォシクさんの「ゴンドラは乗らなくてもいいですか?」という質問に会田さんは「だめ!」とほほえみで答えたら、わくわくして「本当に面白いスキー合宿になるんだよね」と分かりました。その時、先ずは上に登って写真を撮りましょうという話しは富士見パノラマに着くまで続きましたが、もちろん結局みんな上から滑ることになると考えていました。

やはりそうでしたが、思っていた通り楽しくて面白かったです。パパとママたちは初心者にも経験者にも親切に滑り方を教えていました。滑りながら写真も撮って頂きました。

夕方浜の湯に着いたら、さらに思いがけない喜びを感じました。美しい雰囲気の高級の旅館でした。夕食も豊富な懐石料理で、贅沢なビールと美味しい日本酒も飲ませて頂きました。

食事の後はカラオケ。日本に来る前にあまり歌えなかったのですが、飲み会だけでなく、日本語の勉強のためにもよくカラオケに行きたくなりました。誕生会でも、どんなパーティでも、必ず最後にみんなでカラオケ。今もあまり変わらないですね。

浜の湯のカラオケは本当に楽しくて、日本の古い歌までみんなで歌えたのです。私の好きな曲は「雪国」で、この歌をカラオケではじめて聞いたところは石川県の金沢でした。その後は、どんなカラオケ会でも、いつも歌いますが、雪国の方では歌う機会がなかったです。

今回は雪の多い長野県で歌えて嬉しかったです。カラオケ会が終わっても、温泉の後、部屋の窓を開けて、素晴らしい諏訪湖の風景を見ていてビールを飲みながら色々な面白い話を友達4人でしていました。感動した初日でした。

次の日に、諏訪神社参拝をし、諏訪湖を見下ろす展望台の上にある店で信州手打ち蕎麦を食べながらまた面白い話などができました。このスキー合宿の 2 日間はあっと言う間に終わったのですが、非常に楽しくて、やはり日本で今まで行った旅行の一番思い出に残る旅だったとも言えると思います。

また、機会があったら、是非参加させていただければ幸いです。
 
寄稿者:シャラフ・アリフハノフ

2005.01.25 第43回留学生とトークの会
【講 師】ローラ( Lola )国際大学卒、現在英語教師
【日 時】平成17年1月25日(火)18:00 〜 20:00
【テーマ】「ウズベキスタンの社会構造と大家族制度」について

 ローラさんからウズベキスタンの家庭に関していろいろ興味深い話を伺った。
  1. 家の相続は末っ子であり、日本のように長子相続ではない。
  2. 預金高の地区別占有率について、人口では 1 割しか占めていないタシケント市が全国の 8 割を占める。
  3. タシケント市の会社に就職するにはタシケント市の居住権が必要。そしてその居住権の入手は困難。
  4. 旧ソ連時代の方が生活も良かったし、文化レベルも高かった。
  5. 女性の結婚は18 〜 19歳が多い。大学に進学できなかったら結婚する等である。
 特に3の居住権に関してはソ連支配からとのことですが、ソ連支配が終焉しても、何故地方から都市への人口の流入を抑えているのか? 農業国家を維持するためか? 其の方が国家として統治しやすいからなのか?

 日本の場合にはそのような制約が無かったので地方から大都市への人口流入がなされ、労働力強化となり結果として戦後復興の原動力となったのだが。ウズベキスタンが日本を手本とするときに労働力の流動に関しても一考を要するのでは?

 次にソ連支配時代に比べて生活並びに文化レベルの低下があるということですが、体制が変革しきれていないのか?

また女性の結婚年齢に低さを伺った際に、最近の日本の女性の結構年齢が高い理由が改めて思い知らされた感じです。このように色々考えさせられて楽しい一夜でした。
 
寄稿者:吉川 研一

2004.12.21 第42回留学生とトークの会
【講 師】檜山 彰
【日 時】平成16年12月21日
【テーマ】生粉打ち蕎麦

 2004 年 12 月 21 日、浜松町セントラルビル 10 階にある一室で、檜山さんによる蕎麦打ち大会が行われました。私は、9 月のトークの会に出席させて頂いたのですが、その際、参加者の 1 人から、「檜山さんのお蕎麦は名人級だから」といったお誘いを受け、今回のトークの会を心待ちにしておりました。
部屋にはいると、なるほど、名人級のお姿(?)で檜山さんが蕎麦を打っておりました。

 お味もさることながら、その蕎麦を打つ手つきが「これはただ者ではないな」という風格に満ちておりました。同席したバリシュ君も、「おいしい、おいしい」と連発しておりました。

 その後、檜山さんによる「お蕎麦に関するウンチク講義」が始まったのですが、中でも印象的だったのが蕎麦湯の効能に関するお話でした。なんでも蕎麦湯には血液をサラサラにする効果があるらしく、出席者一同興味津々といった様子でお話に聞き入っておりました。

 私は、9 月のトークの会に引き続き 2 度目の参加となりましたが、私のようなウズベク初心者でも十分に楽しめる会合だと思います。留学生の方もいたって日本的(バリシュ君は日本語も流暢でしたし、お箸の使い方も立派なものでした)で違和感なく溶け込めると思います。

今回も参加させて頂きまして、本当にありがとうございました。
 
寄稿者:山口 淳

2004.11.24 第41回留学生とトークの会
【講 師】マヤ・マヴジューダ
【日 時】平成16年11月24日
【テーマ】ウズベキスタンのお祓い

 日本に来て様々な日本の習慣を見聞しました。日本・ウズベキスタンの習慣で似ているものもあり、異なっているものもあります。今日はウズベキスタンの様々な習慣をお祓いを中心にお話します。

I. 招魂儀礼
  日本ではお盆・お彼岸と言う先祖招魂の仕来りがありますが、ウズベキスタンでは毎週木曜日に先祖の霊を家に迎えます。亡くなった人の息子がコーランの定められた一節を唱えて先祖の霊を迎えます。
   
II.  命日儀礼
  死者の命日には亡くなった人の息子はコーランの定められた一節を唱え、僧侶と近所の男性達を招きます、その際には雄鶏を供してもてなさなければなりません。雄鶏の骨は犬や猫に与えてはならず、庭の神聖な場所に埋めなければなりません。
   
III. お祓い
 
  1. 安全祈願(例:新車を購入した時)…お祓いは毎週金曜日にモスク(回教寺院)で行なわれます。お祓いを受けるには新車と共に白い雄鶏を携えてモスクに行き、祈祷を受けます。雄鶏のとさか切り、その血を人の額、手の甲、手のひら、足の甲、車のウィンドシールドの外側・内側につけます。祈祷の後、モスクでツモル(*1)を貰います。
  2. 事故に遭った時のお祓い…事故に会った時には、事故にもかかわらず、運転していた人や同乗者に大きな怪我が無かったような場合 感謝の祈祷をする。
    この祈祷には:
    1. 雄羊を犠牲に供さなければならない。雄羊の血を庭の神聖な場所に流し、その血は土で覆わなければならない。人はその神聖な場所の上を踏み歩いてはならない。
    2. 僧侶を招き、定められたコーランの一節を唱える。
    3. 事故に会いながら無事だった人は 雄羊の肉を モスクに供さなければならない。
  3. 家を新築する時…僧侶に祈祷を頼む(日本の地鎮祭に似ています)。
    この祈祷の際には:
    1. 事故に会いながら無事だった人は、雄羊の肉をパンと共に貧困者の家庭に分け与えなければならない。
    2. 新築する家の敷地で雄鶏を殺さなければならない。
    3. 祈祷の後、雄鶏の肉の料理をみんなで食べる。
    4. 壁が出来、屋根を作る前に、また雄鶏を殺し、血を棟木に着けなければならない。
  4. 家が出来 人が住めるようになった時に、
    ビビセーシャミ(*2)を行なう。
   
IV.  願掛け
 
  1. 聖者参り…モスク敷地内には回教聖者の墓がある。病気治癒、子宝祈願、等の願をかける人は、聖者の墳墓に三周回向をし大願成就を祈る。
  2. お礼参り…大願成就の際には、再び聖者の墳墓に三周回向をし大願成就を感謝する。
  3. 大樹祈願…モスク敷地内の樹齢を経た大木にも願掛けをする習慣がある。白い細長い布を木の枝に結び付けて願を掛ける。日本の御神籤に似ていると思います。
  4. 神聖な水…モスク敷地内には湧き水があり、お祈りの後、その水で顔や手を洗う。また湧き水を家に持ち帰り神聖な水として家事にも使う。
   
V.  癒しの巫女
  ウズベキスタンでは病気になった時病院に行く人もあるが、病気治しのおばあさんの所ところに行く人も多い。巫女のおばあさんは普段は家事をしているごく普通の人ですが、癒しの能力を持っていると考えられています。
  1. 例えばお腹が痛い子供を治す場合、このおばあさんは
    1. 患者のために祈祷する。
    2. ナンを3つに割く…ナン一片を手に持ち、定められた文句を唱えながら、患部上に円を描きつつナンで軽く3回患部に触れる。次のナンでも、第3のナンでも同じ事を繰り返し、お触りを行なう。
    3. ナン三片を手に持ち、定められた文句を唱えながら、最初と同じ事を繰り返し、お触りを行なう…すると不思議なことに20分位で子供のお腹の痛みがなくなります。
  2. この様な癒しはお腹が痛い場合だけでなく頭が痛い場合にも、また子供に対してだけでなく大人対しても行なわれます。
    1. ナンが無い場合にはたまねぎを用いて(以下省略)
    2. たまねぎが無い場合には、灰を用いて(以下省略)
  3. 数年前まではロシア人は子供をこのような癒しには連れて行かなかったのですが、現在ではロシア人もこのようなおばあさんのところに連れて行っています。私自身は2ヶ月に一度位の割合で行っています。
   
VI.  悪魔の目
  中央アジヤやロシアでは広く「悪魔の目」の魔力が信じられています。
  1. 「悪魔の目」の魔力
     悪魔の目」を持った人が、
    1. ある人を見詰めながら心の中で「あっ、この人は可愛いな…」とか「この人は…美人だな」などと思うと、思われた人は病気になるとか不幸に見舞われる…子供のお腹が急に痛くなるのは「悪魔の目」を持った人に見詰められたかだと考えられている。
    2. ある物(例えば家)を見詰めながら心の中で「あっ、この家はいい家だな…」とか「この家は…大きな家だな」などと思うと、思われた家は不幸に見舞われる。
    3. ある動物(例えば牛)を見詰めて魔力をかけた場合には、その牛は病気になるとか乳の出が悪くなる。
  2. 「悪魔の目」の魔力をどのように避けるか?
    1. 思われた人は
      • クズ・ムンチョーク(*3) を両手首にする
      • ツモルを身に付ける
    2. 思われた家には
      • 左右の門柱に馬蹄を打ち付ける、または棘のある木の枝を吊るす、または唐辛子の枝(*4)を吊るす。
    3. 思われた牛には
      • 古い靴の一部(踵の部分)を切り取り、それを牛の首に掛ける。
  3. わが身を守る…ところでウズベキスタンでは人々は「悪魔の目」を持った人を見分けることも出来るのです…日本の皆様は信じ難い事とお思いでしょうが。ウズベキスタンでは「悪魔の目」を持った人に気付いた人は「悪魔の目」を持った人が何か言うのを聞いたら、「悪魔の目」を持った人の思いが自分に及ぶのを避けるために、すかさず
    • 何か木で出来たものを手で3回叩く、または
    • 唾を自分の後ろにかるく3回吐く。

 今日私がお話したお話の中には、日本の習慣と大変異なる習慣もあったと思います。文化が違うと習慣も異なるものと思います。私はその異なる習慣に興味を感じています。ご静聴有難うございました。

 
*1  ツモル=鮮やかな赤い布で出来た三角形の袋、中にはコーランの一節を記した紙が入っている。この袋は車内のバックミラー脇に吊します。祈祷については 特に料金は決まっていないが、ツモルには一定の料金が決まっている
*2 ビビセーシャミ(ビビ=お母さん、セーシャミ=火曜日:「火曜日のお母さん」)とは、何か良いことがあった時、おばあさん達が火曜日に集い、祈るという伝統的な行事です。この集いの際には:
  1. 7種類の料理を作る事、特に大事なことは米と牛乳の料理を作ること。
  2. テーブルに定められたもの(詳細:省略)を供えなければならない。
  3. 尼さんを招き、蝋燭を灯し、コーラン唱えなえればならない。
  4. ハゾル・イスファン(イスラム教の儀式に使う大事な草)を供えること。
  5. 作った料理の一部をおばあさん達がみんなで食べる。
  6. 残りの料理を分けて持ち帰り、家の女性達が食べる。男性はこの料理に与ってはならない。
  7. ビビセーシャミの終わりに、テーブルに供えられた材料からピロシキに似た食べ物を作る。
  8. ピロシキに似た食べ物を隣近所に分ける。分ける家の数は奇数で無ければならない。
  9. ハゾル・イスファン(草)を燃やして、煙を出す。この煙で家の庭を清め、家の中を清め、また住む人を清めなければならない。
 
*3 クズ・ムンチョーク=「目のブラスレット」と言う意味。ビーズ珠のような小さな目(陶製)を糸で繋いだものがついているブラスレット
*4 日本では節分にヒイラギの葉と鰯の頭を掛けますが、それと似ていると思います

寄稿者:渡辺 政則

このページのトップへ移動する
© Copyright 2001 - 2024 The Japan-Uzbekistan Association. All Rights Reserved.
日本ウズベキスタン協会 〒105-0003 東京都港区西新橋1-17-1-3F TEL03-3593-1400 E-mail:jp-uzbeku@nifty.com
嶌信彦のホームページはこちら